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2012年8月

おやすみなさい(加齢考)

今夜の「おやすみなさい」は、画像無しでお送りします。

ちょうど、半世紀を生きたという年齢の私は、この頃、体調が変化しています。

少々、疲れやすいのです。

それは、本業の占いのほかに、サブワークに取り組んでいることや、サブワークのオフの日に、目いっぱい、仕事を入れていることが、原因と思われます。

加齢というのは、誰にでも平等に訪れるものですから、上手に付き合っていきたいものだと思っています。

さて、加齢による疲労の蓄積は、あまり、嬉しいことではありませんが、私は、歳を重ねることを、ポジティブにとらえています。

経験値が増すことによって、本業の占いには、加齢は、プラスに働きます。

また、この歳になって、以前にも増して、生き生きとした女性でいられるよう、日々、精進する心構えでいますので、自分で言うのもなんですが、私は実年齢より、やや若めに見えるようです。

加齢は、平等に訪れると前述しましたが、それは、ある意味正しくて、ある意味、間違っていると思います。

というのは、その人の、精神年齢を決めるのは、生き方次第だからです。

普段、年齢のことなど、忘れている私ですので、自分がいつまでも、成長途上だな、と感じています。

そう思って暮らすと、まだまだ、成長すべき点はたくさんありますから、年齢相当の落ち着きよりも、チャレンジ精神旺盛な青春時代がまだ、続いている感じです。

気持ちの持ち方次第で、外見、人に与える印象が、大きく変わってくるのが、30代以降ではないか、と思います。

こう言ってはなんですが、良い意味での緊張感を失うと、たとえ10代でも、おばさん化してしまうのではないでしょうか?

道に広がって歩く、必要以上に大きな声で話す、レジで小銭を探して、時間をとる、などなど、おばさん化すると、してしまいそうなことですね。

でも、おばさんと言う言葉、あまり、よろしくないですね。

何と言うか、多少の侮蔑の念を感じてしまいます。

だからこそ、女性は皆、脱おばさん化を目指して、日々、程よい緊張感を持って、生きたいものだと思います。

ちなみに、私の母は、70代後半になりましたが、いつまでも、少女のような純真な心を持ち続けていますよ。

私も、母の年齢になったとき、そのようでいたいと願っています。

それでは、皆様、おやすみなさい。

おやすみなさい(明日は数秘タロット講座の講義をします)

DSC_0675.JPG画像は、さっきまで、一緒に遊んでいた虎之介です。(ブログの内容とかぶらない、画像のチョイス、お許しを。)

さて、明日は、静岡占いの館ミューズで、数秘タロット講座を講義させていただきます。

私の生徒さんは、少数ですが、精鋭です。

皆さん、数の意味や、イメージをしっかり掴んでいて、初級コースをもうじき終えようとしています。

私が、生徒さんに運命カルテを、いっぱい書かせる講師なので、それに応えてくれる生徒さんたちには、いつも、ありがたいと思っています。

数をこなして、見えてくるものが、占いにはあるのです。

初級講座で、書いてもらった運命カルテの数は、半端ではなく、すべての生徒さんの分を作っている私の手元の運命カルテのナンバリングは、500を超えました。

主として、有名人や、過去の偉人などの運命カルテですが、一枚一枚、作成することで、運命透視力がついてきます。

さて、そろそろ、初級講座を終える生徒さんたちのために、カバラ数秘術初級修了試験問題を作らなければ!

試験問題を作ることは、講師にとっても、勉強になるんですね。

サブワークをして、疲れた頭では、作りたくないので、今日は、これから休んで、朝、早起きして、授業の準備をします。

これからも、カバラの占い師を、ひとりひとり、しっかりと育てていきたいと思っています。

それでは、皆様、おやすみなさい。

おやすみなさい(時間とお金、どちらを優先しますか?)

DSC_0680.JPG画像は、聖伝ルナ・タロットの「時」のカードと、「黄金」のカードです。

以前、公務員の知人が、仙台に出張するのに、新幹線の交通費を受け取っているのに、静岡から鈍行で目的地まで行ったという話を、本人から聞いたことがあります。

それは、新幹線の料金より安い、鈍行で行くことで、差額をポケットマネーにしたいからだと言うことでした。

私は、その話を聞いた時、「もったいない!」、と思いました。

何がもったいないかと言うと、「時間」がもったいないと思ったのです。

私だったら、新幹線で目的地まで行って、自由時間を、仙台の地を散策することに使ったでしょう。

でも、公務員の彼は、鈍行で仙台まで行くことに、何の疑問も抱いていないようでした。

これは、極端な例かもしれません。

しかし、人の一生が、そんなに長くないことを思うと、「時間」を大切にすることは、重要なことだと思います。

ですから、私は、自分に出来ないことは、プロにお金を支払って、最短距離で、解決してもらいます。

例えば、パソコンについては、パソコンcafeスマイルのyummy先生に。

家電のことは、まちの電気屋さんであるウチノデンキに。

アロマのことは、SUNRISEさんに。

身体のメンテナンスは、癒し手処やわらぎさんに。

などなど、私が、一から勉強して、解決する力を身につけるのに、かかる時間を思ったら、プロにお金を支払って、処理してもらうことは、ベストな選択だと思います。

そんなわけで、私は、時間とお金、どちらを優先するかと聞かれたら、基本的に、「時間」を優先すると答えます。

でも、それは、「お金」をないがしろにしているということではないのですよ。

お金は、賢く使ってこそ、生きてきます。

節約のために、汲々として、暮らす人より、必要なことには、快くお金を使える人の方が、なぜか、お金に不自由しないようです。

多分、お金を使う時の、気持ちの持ち方が、その後を左右するのだと思います。

お金を使う時、「お金があるおかげで、こんなこともできて、本当に幸せだ。ありがたい。」と思って使えば、お金は、仲間を連れて戻ってくるでしょう。

しかし、「ああ、こんなにお金がかかってしまった。いやだなぁ。」などと、思って、お金を使う人のところには、お金も、二度と訪れたくないでしょう。

もちろん、お金を使えばいいというものでもなく、要は、お金をかけるべきところと、節約すべきところを、しっかり分けて考えられる冷静な視点を持てるかどうか、ではないでしょうか?

例えば、私は、素材と調味料だったら、調味料には妥協しません。

お肉や野菜は、特売のものを買っても、お酢とか、お醤油とか、そういったものは、たしかなブランドのものを使います。

ただ、基本的に、お肉は国産しか、食べませんけどね。

さて、長々と、時間とお金について、書いてきましたが、皆様は、お金と時間、賢く使っていらっしゃいますか?

私のやり方がベストだと、押し付けるつもりはありませんし、もっと、スマートなやり方をなさっている方もたくさん、いらっしゃるでしょう。

いずれにせよ、大切な「時間」と「お金」、無駄にしないで、生きていきたいものです。

それでは、皆様、おやすみなさい。 

おやすみなさい(男性を立てることの効用について)

4.恋人.jpg恋愛における、男女の基本姿勢の違いは、恋愛期間が長くなると、いろいろな問題を引き起こすようですね。

ややステレオタイプな解釈で、恐縮ですが、恋愛していても、自由でいたいのが男性、その人だけのものになりたいのが、女性のようです。

また、恋愛へののめりこみ方は、やや女性の方が、深いようですね。

そういった基本姿勢の違いは、やがて、亀裂を生み、二人の仲を微妙なものにしていきます。

以上は一般論として、ご賛同いただけると思われます。

しかし、過去の恋愛において、私は、縛られることに、心理的負担を負ったことがあり、やや、男性よりの基本姿勢が身についてしまった感があります。、

縛るのも、縛られるのも、遠慮したいのですね。

しかし、それは、本当に相手を心から、愛していなかっただけなのかもしれず、そう考えると、私を閉じ込めておきたかった、その男性の方が、真剣に恋愛をしていたのかもしれません。

ところで、男性に何を求めますか?と聞かれて、「優しさ」と答える女性が多いことに、私は、?と思います。

男性というのは、強く、りりしくあってほしい、そう望む私は、古典的なタイプなのでしょうか?

ただ、現代、女性が強くなり、男性が弱くなったといわれるのは、女性の側にも、原因があるように思います。

非常に古風なことを申し上げて、恐縮ですが、現代の女性の多くが、「男性を立てる」ということをしなくなったのが、原因の一つだと私は思っています。

こんなことを書くと、フェミニストの方々に、お怒りのコメントをいただきそうですが、女性が、男性を立てるというのは、美しいことだと私は思っています。

そして、女性が、敬意のこもった態度で、接することに、男性は、その女性を守ると言う気持ちで、応えるのではないでしょうか?

必然的に、守るものを持った人は、強くなりますよね。

そういう関係性は、もう、古臭く、すたれてしまったのでしょうか?

このブログを読んでくださっている女性の皆さん、騙されたと思って、ご自分のパートナーを、立ててご覧になってください。

男性を立てるということが、どういうことか、良く分からないなら、程よく、彼を頼って、応えてくれたら、感謝しましょう。

そうして、彼を、だんだん、強く、りりしい男性にしてしまいましょう。

男の人に、守られることの幸せは、私の母を見ていると、良く分かります。

亡き父が、母を、大切にしたのは、母がいつの日も、父を立てていたからではないか、と思うのです。

父は、よく、母の為に、重い物を持ってあげたりしていましたし、母は、父の好物を、よく食卓に載せました。

そういう家庭で育ったので、私は、現代の女性が、男性のような口のきき方をしたり、パートナーを立てることをしないことに、疑問を感じるのです。

さて、恋愛の基本姿勢の違いについて、書き始め、男女の間には深い淵(ふち)がある、ということを書こうとしていましたが、案外、その淵は、ヒョイッと、飛び越えられるものかもしれません。

飛び越えるのに、必要なのは、お互いを大切に思い合う心です。

世の中の、パートナーをお持ちの皆さん、是非、彼(彼女)がいてくれることに、深い感謝の心で、日々、接して見てくださいね。

幸せなカップルが、増えてくれることを願って、それでは、皆様、おやすみなさい。

鑑定メニュー、および料金の変更を検討しています。

DSC_0662.JPG画像は、今日、買ってきたスカシユリの花です。

さて、私は、近々、電話占い(スカイプも可)と、メールカウンセリングを、鑑定メニューに加えようと思っています。

お電話でもご相談を承ることで、自宅にいながらでも、鑑定を受けていただけるようにと考えました。

また、メールは、現代において、欠かせない通信手段であることや、直接話すより、メールでのほうが、自分の心を打ち明けやすいという方もいらっしゃることから、加えることとしました。

それに伴って、これまでの鑑定料金を見直すこととしました。

近々、ご報告させていただくことになると思います。

ところで、こうした鑑定メニューおよび料金の見直しを検討したのには、私なりの考えがあってのことです。

常々、私の鑑定は、占いでありながら、カウンセリングの要素が含まれているなぁと、感じていました。

また、そのように指摘して下さる方もおられ、カウンセリングメニューを、加えたいと考え始めたのです。

占い師でありながら、心理カウンセラーの要素も持つという存在は、今の世の中に必要なのではないでしょうか?

私の師である斎藤啓一先生が、そのような方であることも、私が今回、メニューを見直す際に、参考にさせていただきました。

メニューや料金の詳細は、決まったら、すぐ、ブログアップしますね。

それでは、皆様、おやすみなさい。 

おやすみなさい(言霊の国で)

今夜の「おやすみなさい」は、画像無しでお送りします。

昨日、サブワークの職場で、印象的な出来事がありました。

私は、ある大手スーパーで、事務兼レジ担当をしています。

私たち、レジ担当者は、お客様にレジ袋をお付けするか、必ず、お聞きします。

そして、要らないとおっしゃられた場合でも、無料のビニール袋などで、なるべく、お買い物をまとめるように指導されています。

昨日は、それが、お客様の、お気に召さなかったらしく、ショッキングなことが起きました。

その男性のお客様は、おにぎりをお二つ、お買い上げで、「レジ袋は要らない」とおしゃられました。

なので、いつものように、無料の小さなビニール袋におにぎりをおいれして、お渡ししたところ、

「要らないっていってるだろ!」と吐き捨てるようにおっしゃられ、

ビニール袋からおにぎりを出し、そのビニール袋を私の方に投げつけたのでした。

一瞬、何が起こったのか、把握するのに、苦労しましたが、次の瞬間、鋭い痛みが、胸を襲いました。

一年近く、レジに立っていますが、そういった行為を、お客様から受けたのは、初めてのことでした。

その後も、お客様は途切れず、そのまま、レジに立っていましたが、胸がズキズキして、辛い思いでレジ作業を続けました。

そのうち、私は、自分のお節介を反省するとともに、なぜ、そのお客様は、そんな心無いことを平気でなさるのだろう?と不思議に思い始めました。

また、一方で、(お客様には悪いと思いつつも)逆の立場でなくて、本当に良かったと思いました。

私が、人に袋を投げつけたり、掃き捨てるような言葉を、人に浴びせたりした張本人でなかったことは、本当に幸いでした。

しかし、逆に、汚い言葉を吐き、袋を投げつけたお客様の魂が、また、一段とけがれてしまったのだと思うと、お気の毒に思いました。

一事が万事とも言います。

その方は、ふだんから、周りの人を大切にはなさっていないのかもしれません。

もしくは、私がレジ担当者だからと、侮られて、そのような行動に走ったのかもしれません。

しかし、人の本質は、自分より立場の弱い人に対する時、より明らかになります。

私は、人に上下があるという考え方自体を疑っていますが、あると仮定して、自分より立場が下の人に、ひどい扱いをする人というのは、魂のレベルがまだ未発達な方に多いようです。

しかし、ここで、私も反省しなければなりません。

私の、ビニール袋をつけるという行為が、その方の、醜い行動を誘発してしまったことを。

いずれにせよ、醜い行いに接した私も傷つきましたが、一番、魂が痛めつけられたのは、その醜い行いをなさったご本人です。

また、「要らないって言ってるだろ!」という醜い言葉も、その方の魂がしっかりと聞いて、自分自身を傷つけたでしょう。

一日の仕事の最後を締めくくる頃には、私は、そのお客様のために、祈ろうと思い始めました。

どうか、そのお客様の魂が清められ、醜い言葉や行いから無縁の方となられますようにと。

最近、言霊を大切にしてきたこの国で、本当に、言霊という観点から考えると、非常に恐ろしい言葉(醜い言葉)を口にする人が増えているように思えて、心配な私です。

美しい言葉、明るい言葉、そうした言葉が、充実した毎日を、作ってくれます。

醜い言葉を口にすると、それを聞いた自分自身の魂が傷つくのです。

どうか、皆様も、口になさる言葉は、清い、さわやかな、明るい、美しい言葉になされますように。

それでは、みなさま、おやすみなさい。 

おやすみなさい(リンパマッサージを受けてきました)

ほぐし処くさなぎこのところ、疲れをためて、体調がスッキリしないことに、悩んでいた私は、昨日、リンパマッサージを受けてきました。

初めて訪れた、その整体院は、ほぐし処 くさなぎさん。

私が施術を受けた部屋は和室で、とても大きくて立派な神棚がありました。

初めての場所で、緊張していた私は、うかつにも、神棚に一礼することを忘れてしまい、深く反省しています。

気持ちの良い空間で、まるで、神社の境内のように清浄な気で満たされていました。

施術は、一時間。

リンパマッサージをつけていただきました。

施術を受けていると、ぽかぽかと身体が暖かくなって、心地良かったです。

あっという間に、一時間の施術は終了。

まだ明るい、西日の中を、最寄の駅まで歩いて帰りながら、身体がずいぶん楽になっていることに気付きました。

リンパマッサージ、恐るべし!

疲れをためた私は、このところ、食事の後に、眠くなるのが、悩みでしたが、今夜の夕食後には、眠くなりませんでした。

やはり、確実に、施術の効果が出ているようです。

ありがたいことです。

それでは、皆様、おやすみなさい。

終わりは始まり

DSC_0659.JPGタロットの展開法は、いろいろありますが、この展開法は、身に迫る危険を予知する展開法で、「塔」展開法といいます。

私はときどき、この展開法で、自分を占うのですが、他の展開法より、頻度が少ないのは、身に迫る危険を知ることに勇気がいるからかもしれません。

しかし、いろいろな意味で、膠着状態にある今、危険を予知して、どう行動するかを決めねばなりません。

結論から言いますと、試練はあるけれど、何かが新しく始まろうとしているようです。

その何かは、今は、分かりませんが、その前に、自分が現実だと思っていたことの不確実性に気付いたり、価値観が逆転するようなことを体験しそうです。

要するに、自分の常識を疑え、ということなのですね。

最近、いろいろと、考えることが多い私ですが、その考えのベースを疑う必要がありそうです。

そして、価値観が変化するような体験をして、最終的に、新しい一歩を踏み出すのでしょう。

これまでの、人間関係や、しがらみと、決別せよ、ということかもしれません。

もしくは、新しい関係性を築け、ということなのかも・・・。

いずれにせよ、私の近未来は、結構、波乱に満ちているようなので、心してかかろうと思います。

何かの終わりは、始まりですね。

新しい一歩を踏み出す為にも、立つ鳥あとを濁さず、といきたいものです。 

おやすみなさい(信頼と依存)

6.法王.jpg信頼できる家族、友人を持つことは、とても幸せなことです。

窮地に立たされたときや、迷いを感じたとき、信頼する人に相談するというのは、ごく普通のことかもしれません。

また、弱音を吐いてしまったり、愚痴を聞いてもらうということもあるかもしれませんね。

お互いに信頼関係が結べているのなら、多少の愚痴は、聞き流してもらえるものでしょう。

しかし、私の交友関係は、同じ職業・占い師にをしている友人も多く、悩みを相談するのにも、気を使います。

なぜかと言うと、その友人たちは、お客様のお悩みを聞いて、お答えすることで、お金をいただいている人たちだからです。

占い師の友人の顔が思い浮かぶほどの、迷いや、悩みの場合、相談するとしたら、友人としてではなく、お客様になって、相談に乗ってもらうというのが、筋でしょう。

実際、私は、昨日のフェアリア先生(フェアリア先生は友人ではなく先輩ですが)のように、お金をお支払いして、相談をする占い師の友人が何人かいます。

しかし、ときどき、これは、鑑定の域なのか、それとも、普通の会話の延長でいいのか、の判断が難しいことがあり、私なりに考えて、連絡をしても、相手にとって、不本意な連絡の仕方となってしまったり、ということもあります。

幸い、忌憚なく、「その内容は、鑑定の域だよ」と、クギを指してくれる間柄なので、友人関係の破綻は免れていますが、気をつけなければ、と思います。

そこで、思うのが、信頼と依存の違いを、しっかり区別しなくては、ということです。

困ったときや、悩んだときに、顔が浮かぶという時点で、すでに、依存の陰が指していますが、その時点で、自戒して、まず、自分にできることをしてから、連絡を取ろう、と思えるなら、依存ではないでしょう。

しかし、さあ、困った、話を聞いてもらおう、では、信頼関係というより、依存関係でしょうね。

信頼と依存は、似て非なるもの、その区別をしっかりできないと、大切な友人を失うこともあるでしょう。

ことほどかように、人間関係は、デリケートなんですね。

相互に信頼で結ばれた人間関係を、依存関係にしないためにも、まず、自分にできることを、し尽くしてから、友人なり、先輩なりに、相談する、という姿勢、大切だと思います。

今回は、自戒を込めて、このブログを書きました。

それでは、皆様、おやすみなさい。 

おやすみなさい(人はなぜ動物に癒されるのか)

DSC_0653.JPG私は、これまで、鳥や動物と、暮らしてきました。(できれば、飼ったとは、表現したくない私です。)

そして、とても、心癒されてきました。

人と人との関係って、なかなか、思う通りにいかないことが多くて、占い師へのご相談のお悩みの筆頭は、人間関係でのお悩みのようです。

私は、性善説の人なのですが、ただ、ちょっと、ペシミスト的な性善説の保持者です。

どう、ペシミスト(悲観主義者)なのかと言いますと、私の中で、人間関係の前提が、「人と人は分かりあえない」というものなのです。

分かりあえると思いたくて、若い頃から、いろいろ、傷ついたり、人を傷つけたりしてきた結果、この前提に立つことを決めました。

分かりあえるという前提に立つと、人間関係は、理不尽なことばかりになってしまうように思います。

そして、思いがけず、分かりあえると思えた時、心から、感謝をします。

神様に、そして、その相手に。

ですから、私は、友人が決して多いとは言えないです。

ただ、数少ない、友人は、本当に心許せる人たちで、出会えたことに、感謝しています。

そして、友人ではないのですが、私が大切にしている人たちは、ほかにもいます。

それは、お金を支払って、仕事を頼む、関係先の方々です。

いわゆる、その道のプロですね。

パソコンのことは、パソコンcafeスマイル先生。

写真を撮ってもらうのは、フリーズモーション。

家電のことは、ウチノデンキ。

などなど、専門家の力を、借りる時、その技術に、敬意をもって、接しています。

大切な関係者様ということです。

私は、仕事を頼むとき、その人が、信頼できる方かどうかを、よくよく見定める癖があります。

「お金はかかるけど、ベストな選択」をまず、提示してくれる人を、信頼します。

そして、その後、私の懐具合も考えてくれる、そういう一面を持っていてくれると、なお、助かりますし、皆、そういう方々です。

そんな風に、信頼できるプロと、繋がっていると、いざというとき、誰に連絡したらいいか、即、対応ができ、ありがたいのです。

特に、スマイル先生には、何度、泣きついたことか!

さて、本題の、動物に癒される人の心についてです。

つまるところ、動物に人の心が癒されるのは、相手が動物で、「自分の心を分かってくれるはずもないけど、慕ってくれると、愛しい」、ということになるのではないでしょうか?

ここに、人間関係との違いが浮き彫りになります。

えてして、人は、潜在的に、動物に、自分の心を受け止めてくれる役目ができるとは、思っていないようですね。

なのに、思いがけず、なついてくれて、慕ってくれるから、たまらなく愛しいのではないでしょうか?

もちろん、初めから、自分の心を受け止めてくれることを、期待して動物にそばにいてもらう人もいるでしょうが、それは、かなりの寂しがり屋さんではないかな?

動物が、やんちゃをして、自分を困らせるのを、本気で起こる人はいませんね。

「だって、トラちゃんだもん」と、私も、かなり甘いです。

なのに、人が、自分にとって、嬉しくないことをしたとき、怒ったり、理不尽に感じるのはどうしてでしょう?

「分かってくれるはずだ」という前提に立つからではないでしょうか?

ですから、私は、「人と人は分かりあえない」という前提で、物事を観るようにしています。

それは、相手を突き放すということではなく、「分かりあえないけど、努力する価値はある」ということなのです。

そして、思いがけず、波長が合った人とは、一生の付き合いになるのです。

そのように、人間関係を、狭く深く掘り下げる私は、普段は、さらっとしたお付き合いをします。

差別しているのではなく、期待し過ぎないことが、その人への配慮だと思っています。

そんな私に、メールやコメントを下さる皆様、本当にありがとうございます。

これからも、よろしくお願いいたします。

それでは、皆様、おやすみなさい。 

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