• ホーム
  • カバラについて
  • 西洋占星術について
  • タロットについて
  • 鑑定の流れについて
  • 鑑定料について
  • プロフィール
  • アクセス
  • お問い合わせ

2014年2月

恋人に変わってほしいということは・・・?

DSC_1009.JPG占い師に相談に見える方々の中で、恋愛についてのお悩みは、やはり、ダントツです。

そして、この頃、多いな、と思うお悩みが、「〇〇を直してくれたら(〇〇なところが変わってくれたら)、完璧な相手なんですけど・・・」というお悩みです。

このタイプのお悩みに対して、私は、「相手を変えようと思うのをやめると、変わってくれることがありますよ」というお答えをすることがあります。

相手を変えようとする気持ち、あそこさえ、変わってくれたら、愛することができるのだけれど・・・、と言う気持ちは、はたして、愛でしょうか?

愛しているけれど、あそこは気に入らない、変えてほしいという愛は、もしかしたら、エゴではないだろうか、と思う私です。

恋人の欠点に悩む方々にとって、酷な言い方になりますが、相手にのぞむことの多い愛は、エゴだと思います。

恋人や家族に、変わってほしいという思い、中には、本当に、相手のために、変わることで相手がより幸せになるであろうとの思いからの願いもあるかもしれませんが、多くは、自分の気持ちがそれを納得できないからという、自分本位な考えからのことのようです。

まず、自分が、相手に何をしてあげられるだろうか?と考えること、そして、自分には納得がいかないけれど、恋人がどうしてもそうしたいなら、その気持ちを分かってあげたい、そんな風に考えることができるなら、二人の間に流れる空気が変わってきます。

そうお話しすると、「でも、そこまでして、私に何が返ってくるのですか?」と言われてしまい、とっても残念な気持ちになることが多いというのが現実です。

ギブ&テイクという言葉がありますが、テイク&ギブとは言いませんよね?あくまでも、ギブ、与えることが先なのですね。

ただし、愛の場面で、このギブ&テイクという考えが頭をよぎるような方は、あまり、お相手と良い関係を結べないだろうと思います。

ギブ&ギブ&ギブでも、全然、構わない、だって、大好きだから、こんな風に考えてくれると、良いなと思うのです。

相手を大切に思い、何かを与えてもらおうなどと思いもしない、与えることが喜びである、そんな愛を胸にたたえることができたなら、結果的に相手から、真実の愛という最大の贈り物を贈られるのです。

「そんな風に、相手を甘やかして、大丈夫ですか?」という質問が、頭に浮かぶ方もいらっしゃるでしょう。

もし、惜しみない愛情を注いでくれる恋人がいることに、喜びや感謝の気持ちで報いるのではなく、自分の言いなりにできる、と考えるような人がいるかもしれない、ということでしょうか?

そう考える方には、そのような方が、相手となるでしょう。

相手は自分の鏡です。

相手を変えたいなら、変えようとしないこと、これは、結構、テッパンです。

相手を変えずに受け入れる努力をしようと決意する、そういうあなたなら、相手にも、自分を顧みる心の余裕を与えてあげられるのです。

以上、私が考える愛における、問題解決法ですが、反論をお持ちの方もいらっしゃると思います。

愛の究極の形は、無私の愛であろうと思います。

そこまで、愛することのできる相手ではない、とお考えになるなら、それは妥協であって、愛ではありませんよ。

妥協の関係には不満を生む要素はあっても、満たされた思いを抱けるようになれる可能性は低いでしょう。

どうか、まるごと、相手を受け入れようと思える相手と、愛を育んでくださいませ。

それでは、また、ブログでお会いしましょう。

受け入れる力と弱さを勘違いしないために

DSCN0648.JPG我が家の末っ子の猫、虎之介の横顔でお送りします、このブログ、結構、大事なことを書こうとしていますよ。

優しさと弱さが似ていることについて、反論をする方は、少ないかと思います。

優柔不断という言葉もありますが、自分を前に出すことを苦手とする方の多くは、弱いのではなく、優しいのであるということが言えそうです。

そして、優しさは、実は、他者を受け入れる能力と正比例しているようです。

他者を受け入れる力、別の言葉でいうなら、寛容さは、一見、弱そうに見える人が、実は備えているすごい力です。

寛容であることには、実は忍耐力が必要です。

一方、自己主張の強い、はっきりとものを言うタイプの人には、この力が備わっていないことが多いようです。

自己中心的な人であれば、なおさら、この、他者を受け入れる能力は、無いでしょう。

弱肉強食という言葉がありますが、今の世の中に、悲しいかな、強さを良しとする風潮があることは否めないことです。

そして、自分を振り返ることの多い、内省的な人や、他者を受け入れる力という類まれな才能を持った人が、正しく評価されない世の中であるということも言えそうです。

こうした、慎み深い人々を、ひとくくりにして、弱いとか、暗いとか、ネガティブな言葉で片付けてはいけないと思います。

判りやすい、声高な主張の陰に、こうした人々が見ている世界の繊細さや、優しさが隠れてしまうのは、非常にもったいないことです。

自己主張をすることが、慎み深くないと言っているわけではないので、そこは誤解しないでいただきたいのですが、人を押しのけて前に出ようとしない人々が、見つめている穏やかで優しさに満ちた世界の素晴らしさは、実は、心に余裕がないと、なかなか、理解できないでしょう。

そして、もっと、問題だと思うのは、一見、強さを備えた人々が、自己主張をしない人のことを、自分より劣っていると考えがちなことです。

そういった、優越感を、受け入れる力の優れた、優しさを備えた人々は、敏感に感じ取ります。

そして、以前にも増して、前に出ようという気持ちを無くしていく、そんな負のスパイラルがあるように感じます。

少し、整理しましょう。

他者を受け入れる力を持っている人々が、一見、おとなしそうに見えるがために、軽んじられることを、私は憂いています。

そして、もっと、問題なのは、その才能を持つ人々自身が、自分のその能力を、欠点と勘違いしているケースがあることです。

寛容さ、受け入れる力は、正しく評価されてよい、素晴らしい才能です。

ところが、派手でわかりやすい能力でないために、その力があることを認識しにくい一面があります。

かつ、自分を抑えて、人の主張を受け入れることができる人の素晴らしさが評価されるより、受け入れられた主張をした人が素晴らしいことになってしまうパターンがあまりにも多いことが嘆かわしいのです。

ですが、受け入れる力を持っている人々の中に、残念ながら、弱い一面をお持ちの方もいらっしゃるのが、ことをややこしくしています。

でも、そうした人々も、自分の中にある、才能=受け入れる力、寛容さに、気づかれて、自信をもっていただけたら、決して、ご自分が、弱さだけを持った人でないことに誇りを持てるように思います。

デリケートな話題を、回りくどくお伝えしていますので、非常に恐縮です。

翻って、自分のことを思う時、受け入れる力を自分の中に育んだ時期は、正直、鬱状態に陥って、まったく自己主張できなかった時期であったという事実があり、あの時の私は、本当に弱かったな、と思います。

でも、弱いなりに、人を受け入れることを学んでいたんだな、と今ならわかります。

それ以前の私は、非常に自己主張のきつい人間でしたので、運命が、強制的に学ばせたのだとも思います。

そう、極端から極端に変化したので、私の場合は、非常にわかりやすかったのです。

でも、ふつうに、(私のように)病むことを経ないでも、寛容さを備えている、素晴らしい人々の多くは、非常にさりげなく、控えめです。

そういう人々の素晴らしさに気付けるようになって、私は嬉しいのですが、まだまだ、そういう感覚が一般的でないことが悔しいのです。

受け入れる力と優しさは正比例していますね。

そして、優しさと弱さが似ているがために、ご自分が「受け入れる力」という才能をお持ちなのに、それを「弱さ」だと勘違いしている方に、私は申し上げたいのです。

「あなたの寛容さは、才能です」と。

以上、最近、自分の主張を受け入れてもらえなくて、無力感を感じたとおっしゃられた方へのエールを込めたメッセージでした。

それでは、また、ブログでお会いしましょう。

確定申告、行ってきました!

DSC_1272.JPG本日の午後、確定申告に行ってきました。

二年前までは、毎年、三月のギリギリの頃、焦りながら、申告していましたが、去年から、大分、早めの申告が出来るようになってきました。

今年は、初日に行くつもりで、準備していましたが、書類を読み間違えて、2月12日から確定申告会場が、開設されていたことに、気づかず、申告書の受付開始となる今日を目標に準備してきました。

確定申告会場に向かうバスの停留所の告知板を見て、「あれっ、12日からやってたんだ!」と気づいたという次第。

そんなわけで、確定申告会場開設初日の申告はなりませんでした。

五日間、出遅れましたが、それでも、今日、終えられたことは、良かったな、と思います。

今年より来年は、もっと、税金が納められるようになりたいと思いました。

ああ、すっきりした!というわけで、これからの年度末は、来年度への準備に、かかりきりになれます。

これからの約一か月半、意識を来年度に向けていきます。

スピリチュアル・リーディングの会や、いろいろ、行なってみたい企画を現在、考案中です。

乞うご期待!

それでは、また、ブログでお会いしましょう!

「今がベストのタイミング」を逃さないために

DSC_1262.JPG物事には、それを行うのに、ベストなタイミングというものがあります。

そして、そのベスト・タイミングな瞬間が訪れた時、天(というか、神様というか、守護天使というか、大きな力のことです)は、ちゃんと、そのシグナルを送ってくれています。

そのシグナルを受け取って、ベストなタイミングで物事を成し遂げた時、人は、偉業を成し遂げることができるのだろうと思います。

偉業とまではいかなくても、なにか、良い流れにのっかることは、すべての人に与えられているチャンスです。

最近、あることに関して、私は、「あれがシグナルだったか!」と、気づくことがありました。

それは、ありがたいことに、お客様の鑑定ご依頼のお電話をいただいた後に、訪れました。

その日、私が鑑定のご依頼を受けたのは、二件目のことでした。

そして、翌日の午前と午後に一件ずつ、鑑定のご予約をいれて、ふと、「お花を新しくしたい」と思いました。

そのとき、私は、連日の睡眠不足を補うために、仮眠にはいったところで、うとうとしていたら、お客様から、お電話をいただき、飛び起きたのでした。

玄関と鑑定室のお花が、今が盛りのピークであることに思い至り、花屋さんに赴く必要性を感じましたが、その日の予定では、夕方に花屋さんに行くことが可能でした。

しかも、私は仮眠をとらないと、かなりグロッキーな状態で、お電話を切ったあと、すぐに仮眠に入りたい気持がしていました。

「夕方、行けるし」と思った時、すかさず、「いや、違う、今、行かなくちゃ」という言葉が頭に飛び込んできました。

そう、飛び込んできたのです。私が思いついたというより、上の方から飛び込んできた感じです。

そして、私は、すぐに、徒歩20分かかる、お花屋さんに向かうことにしました。

お花屋さんにつくと、そこには、仕入れたばかりの元気な薔薇の花が待っていました。

さらに、奥から、「これから出すところだけど・・・。」と言いながら、お店の方が黄色い薔薇の束を持ってきてくれます。

何度も訪れている、そのお店ですが、まさに、活きの良いお花を取りそろえたばかりというタイミングでした。

いつものように、百合と薔薇を購入して、すぐさま、帰路についた私です。

そして、家に着くと、ほどなくして、新しいお客様から、お電話をいただき、その日の夕方から夜にかけての、ご予約をいただきました。

そう、お花を買う前には、入っていなかったご予約が入って、夕方に、花を買うという行動は不可能になったのです。

もしくは、お花を買うために、せっかくの鑑定ご依頼を後日に回すか、失うか、するところでした。

あのとき、「いや、違う、今、行かなくちゃ」と頭に飛び込んできた、その言葉に従わなかったら、結局、お花は変えず仕舞いで、翌日のお客様を、お花なしでお迎えしなくてはならなくなるところでした。

あの、「今、行かなくちゃ」という言葉、あれがシグナルだったのです。

そして、私は、そのシグナルの通りに行動して、ベストなタイミングで、活きの良いお花をゲットし、さらに、新しい鑑定ご予約まで、承ったのです。

今回のシグナルは、頭に飛び込む言葉という、非常にわかりやすいパターンでしたので、私も素直に従うことが出来ました。

また、これから仮眠を取ろうという、非常にリラックスした状態で受け取ったことも、シグナルを逃さないために、良いことでした。

こんな風に、天は、私たちに、常に、「今がベストだよ」と、シグナルを送り続けてくれています。

それを受け取って、即、行動に起こす人が、もっと、増えたら、世の中がもっと、潤滑な流れになっていくのじゃないかしら、と思う私です。

なので、皆様に、お願いしたいのは、シグナルを受け取りやすい状態をキープしていただけないか、ということです。

どんな状態がシグナルを受け取ったり、そして、シグナルと気づきやすいかと申しますと、単純さ、素直さを、ご自分の中に持つことが大切です。

そして、常日頃から、シグナルにウエルカムというお気持ちをお持ちください。

素直な人ほど、そして、天からのシグナルを歓迎するお気持ちのある人ほど、シグナルは届きやすくなります。

今後のブログで、シグナルには、どんなパターンがあるか、など、おいおい、お話しさせていただきます。

まずは、素直さをお持ちくださいませというのが、今回のメッセージの主題でした。

それでは、また、ブログでお会いしましょう。

「スピリチュアル・リーディングの会」、企画中です。

DSC_1260.JPG占い師・佐藤洋子は、現在、信頼している占い師の友人とともに、「スピリチュアル・リーディングの会(仮称)」を企画しているところです。

占いということにとらわれず、なにか、大きな力に導かれていることを感じていたり、見えないけれど、大切なものがあると感じている、そんな、スピリチュアルな感性を持った方々に、毎回、私と友人の占い師の二人が、テーマを決めて、お話しをさせていただいたり、参加してくださった方々に起こったことをスピリチュアルな視点で解読したり、ということを考えています。

会の雰囲気は、サロンに集って、お茶会をしながら、スピリチュアルなことを、話題にして、和やかに語り合うというイメージです。

まだ、企画の段階なので、詳しいことは、おいおい、ブログで、途中経過のご報告をしながら、構築していく予定です。

いらしてくださった方々を、大切に、大切にさせていただこと思っています。

サロンですから、アフタヌーンティをいただきながら、くつろいでいただけたらいいな、などと、現在、二人で、あれこれ、考えています。

私と友人は、占い師としての、姿勢が共鳴する間柄です。

占法は、違っていますが、基本的な、占いに対するスタンスが、ほぼ、一致しています。

そんな二人が、大切なメッセージを発信する場として、「スピリチュアル・リーディングの会」を企画しています。

ご興味がおありの方は、私のホームページのお問い合わせフォームから、メッセージを寄せてくださればと思います。

実り多き会になるよう、尽力しますね。

断捨離、断捨離、断捨離・・・。

DSC_1255.JPG身の回りの物を、整理し始めて、二か月になろうかというところです。

その間、いらなくなった本を売り、もう身に着けることのないアクセサリーを売り、本棚や金庫の中が、すっきりしてきました。

でも、まだ、クローゼットの中に、わんさと、今のサイズより下のスーツ類がぶら下がっています。

物だけでなく、自分の身体に余分なお肉も貯めてきたことで、だんだん、お洋服のサイズが大きくなってきている私です。

これではいけない、ということで、本日から、チョン・ダヨン女史の、モムチャン・ダイエットを始めました。

DVDに合わせて、体を動かすこと、20分。

結構、きつくて、ほんとに体がなまっていることを実感。

明日は、筋肉痛かもしれません。

でも、これも、ひとつの断捨離ですよね。

目標は、春までに、洋服のサイズをワンサイズ縮めることです。

そうすれば、クローゼットの中のスーツが活きてきます。

そして、もう一つ、私が断捨離だな、と思うことが、お買いものを控えることです。

私は、依存症ではないけれど、買い物、特に、通販でものを買うのが好きです。

カタログの類は、毎月、なにがしか、送られてくるので、紙のリサイクルに出す量は、半端ではありません。

まず、カタログを三つに絞りました。

「絞って三つかい?」と突っ込まれそうですが、お洋服関係が一つ、インテリア関係が一つ、美容と健康関係が一つ、の三つです。

そのほかのカタログは、今後、送られてくることのないように、手続きしました。

そして、通販以外の、日々の買い物についても、紙に書き出して、おおよその予算を計算してから、さらに、本当に必要か?という視点で、そのメモを見直します。

何を言いたいかといいますと、断捨離する以前の、ものを家に入れる時点で、選別しようという作戦に出たわけです。

買ったり、もらったりして、家を物置にしてから、断捨離するのではなく、初めから、ものを増やさない方向でいきたいな、と思ってのことです。

言うは易く、行うは難し。

限定品、セット割引、タイムセール、などなど、お買い物には、誘惑が多く、それに抗うのは、結構、エネルギーがいりますね。

幸い、家計簿をしっかり、つけているので、空いている時間に、いわゆる、無駄遣いに分類されると思われる支出の合計を出してみました。

ギョッとする額のお金を、買わなくてもこまらないものに使っていたことが判明。

その分、今年は、使わないで、貯蓄に回すぞ、と決意を新たにしました。

おそらく、昨年は、収入が、途中から増えたことで、気が大きくなっていたんですね。反省。

断捨離、まだまだ、続きます。

「続報を待て!」ということで、そろそろ、スカイプ鑑定のお時間が迫ってきましたので、まずはこのあたりで終わりにします。

それでは、また、ブログでお会いしましょう!

おやすみなさい(お雛様、飾りました!)。

DSC_1257.JPG立春を迎え、季節の上では、春になりましたので、早速、鑑定室に、お雛様を飾りました。

なんというか、お雛様を飾ると、気持ちが華やぐのは、私が女性だからでしょうか?

鑑定室にお見えのお客様のお幸せを、このお雛様が見守ってくださるといいな、そんな気持ちで飾った私です。

立春を過ぎたら、良い日を選んで、お雛様を飾るというのは、今は亡き、明治生まれの祖母から教わりました。

祖母を思い出すと、身が引き締まります。

というのは、私の、母方の祖母は、若いとき、教師をしていた人で、私はおばあちゃん子でありながら、いわゆる「おばあちゃん子」とは、かけ離れた幼少時代を送りましたので。

要するに、孫を甘やかす、おばあちゃんではなかったのです。

甘やかさない、という程度の生易しさではなく、厳しく、ビシビシと鍛える感じの祖母でしたね。

祖母が、幼い私に対しても、甘やかさず、厳しくしつけてくれたこと、感謝しています。

明治生まれの人は、みんな、ああなのかな?

一本筋の通った、凛としたものを、祖母に感じ、その厳しさに触れて、コワい祖母だと思いながらも、どこかで、あこがれる気持ちがありました。

私は、自分の子供を持つことができませんでしたが、姉の子供たち、甥や姪を見ていると、祖母も、こんな風に、自分の血が流れている子供たちを、愛しいと思っていたんだろうな、と思うのです。

だからこそ、厳しくしつけてくれて、感謝に堪えません。

私が今、甥や姪に、あんな風に、ビシビシと鍛えてあげることって、とてもできないですから。

だって、かわいいですもの。

厳しくするより、かわいがってしまいます。

とはいえ、いちばん上の姪は、もう二児の母ですから、私は、小っちゃいばあちゃんなんですけどね。

さて、身内の話で終始していまいましたが、お雛様って、母や、姉、祖母といった、女性の身内のことを、思い出させますね。

なぜかな?

やはり、お雛祭りが女性のための風習だからでしょうか?

そんなこんなで、今日は、お雛様を飾って、ふと、懐かしい人を思い出しました。

それでは、皆様、おやすみなさい。

1