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ひとり言

「白い巨塔」唐沢寿明版、再視聴してみました!

白い巨塔1.jpeg

このところ、過去の大作ドラマ及び映画のリメイクが話題になっていますね。
 
横溝正史、松本清張、山崎豊子など、過去に、映画化、ドラマ化され、評判をとった作品が再び、現代のタレント(俳優と言えない方も多々)さんをキャスティングして、作られています。
 
リアルタイムで、過去の良作を視聴していた身としては、観てみたいような、観たくないような、複雑な気持ちです。
 
直近では、フジテレビによる「砂の器」(松本清張)、テレビ東京による「二つの祖国」(山崎豊子)などが、目につきます。
 
「砂の器」は、私が一番好きな映画ですが、それについては、また、別の機会に。
 
今回、岡田准一主演で、山崎豊子原作「白い巨塔」がリメイクされるとのことです。
 
上の画像は、2003年版「白い巨塔」の冒頭シーンです。
 
高校生の頃、田宮二郎主演のこの作品を、熱心に観ていた私(年齢バレバレですね)。
 
田宮財前1.jpg
「白い巨塔」をご存知無い方は少ないと思われますが、山崎豊子氏による原作小説は、大学病院の内側を描いた問題作として、注目されました。
 
主人公、苦学の末に大学病院の助教授(当時の表記)になり、時期教授と目されていた財前五郎が如何にして、自分の野望を遂げていくかを描いた物語です。
 
当時、高校生になったばかりだった私ですが、この作品が描いている世界観に惹きつけられた記憶があります。
 
主人公、野心に満ちた財前五郎を、田宮二郎氏が演じ、その愛人役を太地喜和子さんが演じておられました。
 
財前五郎の師である東貞蔵教授役は、中村伸郎氏、その娘、東佐枝子役は島田陽子さんでしたね。
 
東教授の学者然とした佇まいに対して、野心的な財前助教授の振る舞いが強調されていた印象がありました。
 
白い巨塔5.jpeg
財前のライバルであり、出世より患者第一の内科医・里見脩二役は、山本學氏が演じました。
 
また、財前の誤診によって命を落とした患者を弁護する、清廉潔白な弁護士・関口仁を演じたのは、児玉清さんでした。
 
ちなみに、命を落とした患者の妻役を、中村珠緒さんが演じておられました。
 
40年以上も前の、ドラマの主要キャストを、ここまで鮮明に覚えていること自体、「白い巨塔」というドラマが、高校生だった私に与えたインパクトの大きさが分かります。
 
「白い巨塔」は、1978年に田宮二郎主演で実写化された後、2003年に唐沢寿明主演で再実写化されました。
 
2003年当時、存命だった原作者・山崎豊子氏が、唐沢寿明氏に「あんた、勇気あるわね」とおっしゃったというエピソードが、当時、話題になりました。
 
1978年版をリアルタイムで観た私も、2003年版を観る前に「唐沢寿明、大丈夫かな?」と思った記憶があります。
 
そして、今回、岡田准一氏の主演で、五夜連続のドラマとして、実写化されるとのニュースです。
 
白い巨塔6.jpeg
ドラマ感想サイトなどでも、既に様々な意見が飛び交っていますね。
 
登場人物の中で、私が特に好きな人物が、病理学科の大河内清作教授です。
 
学内の権力闘争と、一線を画し、冷徹な目で学問を追及する、孤高の学者といった描かれ方をされていました。
 
ただ、私が大河内教授に興味を惹かれたのは、実は2003年の唐沢財前版でのことでした。
 
演じた、品川徹氏の凄みのある演技に目を奪われました。
 
そして、すぐさま、田宮版での演者を確認。
 
映画「砂の器」でも、重要人物を演じた、加藤嘉氏でした。
 
納得の配役でした。
 
田宮財前3-105d030f-966e-449f-b4e1-88ea53f0d77a.jpgのサムネール画像
確認後、どうしても観たくなり、田宮版「白い巨塔」を借りてきて再視聴した私は、品川徹氏演じる大河内教授とはまた異なる、加藤嘉氏演じる大河内教授の正しさ、厳しさに魅せられました。
 
1978年版放映当時、高校生の私は、大河内教授の部分よりも、財前、里見の会話、医療過誤裁判のシーン、愛人役太地喜和子氏の演技などを鮮明に覚えていました。
 
2003年の私には、鮮烈に映った大河内教授のシーンが、高校生だった私には記憶の一部に過ぎなかったことに、我ながら驚きました。
 
なぜ?と考えてみたのですが、2003年の私は2年後の2005年の自宅開業(占断鑑定室)の準備にいそしんでおり、財前の姿勢を厳しく正す、大河内教授の生きる姿勢に心打たれたのだと、ある意味納得しました。
 
そして、最近の私は、2003年の唐沢版(DVDに自分でダビングしたもの)を再視聴しています。
 
現在、テレビ画面が2003年よりも横長になったので、両端の部分に余白が出ていますね。
 
「唐沢寿明、若い!」に始まり、「唐沢寿明、善戦してる」「東教授、描き方違う、こんなに俗っぽかったっけ?」などなど、楽しんで観ています。
 
今でも、田宮版の「東教授の総回診が始まります(文言、ちょっと記憶不鮮明)」で、始まったオープニング映像を思い出しますが、過去作品への敬意と共に、再実写化に踏み切った製作者の勇気と覚悟を、2003年の唐沢版では感じました。
 
今回、岡田准一版は、どんな風に描かれるのか、楽しみでもあり、観るのが怖いような気持ちでもあります。
 
私が一押しする登場人物、大河内教授、岸部一徳氏が演じられるそうです。
 
過去作品が高評価なだけに、善戦を期待したいところです。
 
放映日を、ワクワク(?)しながら待つ私です。
 
それでは、また、ブログでお会いしましょう!
 

明日の夜は、マキタさんとミッちゃんトコで、出張鑑定させていただきます!

マキタさん2.JPG明日の夜は、ロック喫茶マキタさんとミッちゃんトコで、出張鑑定させていただきます。

大体、19時30分頃には、お店にスタンバイする予定です。

明日の夜のライブは、サトシンさんこと、佐藤慎哉さんとマキタさんです。

サトシンさんがライブをなさる夜に、私が出張鑑定をさせていただくことになっています。

サトシンさんの歌は、素敵ですよ!

マキタさんとの絶妙のコンビネーションは、拝見していて、心浮き立ちます!

聴いていて、元気になれる唄です。

たぶん、お二人の明るく楽しいキャラクターが、唄に表れているのだと思います。

そんな素敵なライブの夜、お店の一角で、占いのコーナーを持たせていただけること、とっても感謝しています。

鑑定料金は、10分間1,000円です。

延長料金は10分1,000円、比例計算していただければよいかと思います。

メインの占術は、タロットカードになりますが、10分間をカウントさせていただく前に、西洋と東洋で、宿命をお調べさせていただきます。

宿命をお調べしてから、10分間の鑑定に入りますので、実質は15分超えています。お待たせして恐縮ですが、やはり、宿命は調べさせていただくのが良いかと思いますよ。

さて、明日の夜は、雨も上がっているみたいですね。

良かった~!

それでは、新静岡セノバ近くのロック喫茶マキタさんとミッちゃんとこで、明日の夜、皆様のお越しをお待ちいたしております。

よろしくお願いいたします。

震災ドラマ「ORANGE」観て、良かったです!

オレンジ3.JPG震災ドラマ「ORANGE」、観てよかったです!

ドラマ鑑賞は、NHKに偏りがちな我が家ですが、でも、昨夜、TBS系列で放送された、震災ドラマ「ORANGE」、とっても感動的なドラマでした。

私は、過去に、同じTBS系列で放映された「ルーズヴェルト・ゲーム」を観て以来、若手俳優の工藤阿須加氏のファン状態なのですが、今回、このドラマに、彼が出演すると知って、早速、予約録画した次第です。

「ルーズヴェルト・ゲーム」のときは、野球選手の役でしたが、今回は、消防隊員の方を演じていました。

そう、思わず、「消防隊員の方」と敬意をこめて、表現したくなる、そんなドラマでした。

私は、数年前、会社勤めをしていたとき、帰宅途中に、地下道へ降りる階段を踏み外し、右足首を複雑骨折したことがあり、そのとき、消防隊員の方々に、救急車で、運んでいただいたことがあります。

幸い、頭などは打っていませんでしたから、話ができる状態の私のことを、無線で、「意識は清明」と、伝えていらっしゃるのを聴いて、「そういう風に言うんだ」と思ったことを覚えています。

さて、今回のこのドラマ、「テレビ未来遺産 ORANGE ~1.17 命懸けで闘った消防士の魂の物語~」と銘打った、震災の折に尽力された消防士の方々、被災者の方々、亡くなられた方々への思いの込められた、とても感動的な内容でした。

私は、私大の出身者で、在野ということに、誇りを持っていますが、こういうドラマを拝見しますと、「官」の方々の、まっすぐな努力には、敬意を表さずにはいられません。

思えば、私の両親はともに、公立の学校の教師でしたから、「官」の人でした。

おかげで、私は、自分の親に、授業参観はおろか、入学式も卒業式も出席してもらったことはありません。

そのことを不満に思ったことは無かった私ですが、今回、このドラマを拝見して、「官」の方々の責任の重さ、仕事の厳しさに触れ、改めて、自分の両親が公務員であったことを、嬉しく思いました。

自分は、占い師という、在野も在野の仕事をしていますので、公(おおやけ)というものとは程遠いところにいる身です。

立ち位置はどうであれ、「仕事に対して、真摯でありたい」、このドラマを拝見して、強く思いました。

そんな、当たり前の、だけど、日常生活をだらだらとすごしていたら、うっかり忘れてしまいそうな、「大切な真面目さ」、というか、「きりっとした生き方」って、素敵だな、と思い、明日から、そのように生きるぞ、と思った次第です。

良いドラマは、自分の生き方を振り返らせてくれます。

ありがとうございました。

 

「ルーズヴェルト・ゲーム」サントラ盤、良いです!

0101image.jpeg池井戸潤原作の小説「ルーズヴェルト・ゲーム」を映像化したドラマが、終わりました。

私は、大ヒットした「半沢直樹」も好きでしたが、どちらかと言うと、この「ルーズヴェルト・ゲーム」の方が好き。

いつも、仕事で、録画したものを見ることしかできず、リアルタイムで観ていなかったので、ドラマの合間のCMも一ひねりしてあったことを、ようやく今頃、気づいたりしています。

このドラマが終わってしまい、日曜日の夜がさびしくなったという人が多いことをネットで知った私ですが、実は、私もその一人だったみたいです。

さびしさが高じて、ドラマのサントラ盤CDを購入してしまいました。

CD買ってるところが、昭和の人だなって、自分でも思います。

でも、レコード(古っ)とかCDをゲットした時の高揚感って、いいものです。

今も、サントラ盤を流しながら、このブログを書いているのですが、結構、モチベーション上がりますよ。

なんて、このドラマをご存じない方を置いてきぼりにしていて、ごめんなさい。

私は、このドラマによって、「野球って悪くないかも?」という気持ちになりました。

実は、サッカーワールドカップも、WBCだったっけ?、野球の国際試合も、全然、まったく、興味ない私です。

非国民(またもや古っ)なことに、オリンピックも、結構他人事なんですね、私。

だから、スポーツを見て、心が熱くなるという気持ち、これまで、あんまり、持ったことがありません。

ところが、このドラマを見て、社会人野球のシーンを何度か見ているうちに、「あーおしまっ、あーおしまっ」とか、「おーきはらっ、おーきはらっ」と声を上げてしまったりして・・・。(何のことか、まったくお分かりにならない方、ごめんなさい)

野球って、おもしろかったんですね。

また、体育会系のノリについていけなかった、文系女子だった私ですが、「いいじゃん、体育会系heart」と思ったのですから、ドラマってすごい!

サントラ盤、買って、大正解でした!

それでは、また、ブログでお会いしましょう!

 

「別れと出会い」の意味について

今回のブログは、画像なしでお送りしますね。

一生懸命頑張って自分なりに成果を出した後、以前、仲の良かったお友達と、久しぶりに会ってみたら、話がかみ合わなくなっていた、という経験を持つ方は、ある程度いらっしゃるのではないかと思います。

その主な原因は、おそらく、あなたの成長の度合いが大きいからと言えそうです。以前、おそらく、今よりも、いろんな意味で活性化していなかったときに、仲の良かったお友達とは、成長して活性化しているあなたが、以前のままのお友達に、物足りなさを覚えてしまうのでしょう。

人は、成長するときは、一気に、二、三段は階段を駆け上っていきます。

そんなあなたの周りで、次に起こることが、上記のようなことなのです。

せっかく出会って、楽しいときを過ごしたお友達でも、あなたが成長して、そのお友達のステージより上のステージに行ってしまったら、波長が合わなくなっても仕方がありませんね。

当然ながら、以前と同じような楽しさは、味わえず、疎遠になっていくこともあるでしょう。

「なんだか、変わってしまったね」というようなことを言われて、傷つくこともあるかもしれません。

でも、そこで、立ち止まって、その関係を維持しようとしても、それは、不可能でしょう。

そういうときは、これまでの楽しかった時間を良い思い出にして、感謝の気持ちを込めて、心の中でさよならを言うのがよいでしょう。

無理に、関係を断つことをする必要はありませんが、結局、そのお友達との距離は開いていくことでしょう。

それが、つまるところ、ベストな選択です。

無理に、関係を続けようとすれば、お互いに相手に違和感を覚え、あるいは失望し、悪い形での終焉を迎えるかもしれません。


人が成長して、どんどん、自分の世界を広げたり、深めたりしているとき、こういうことがおきます。つまり、置いていかなければならない人間関係が発生するのです。

それは、羽ばたこうとするあなたにとって、つらいことかもしれません。

でも、そのご縁を手放すことで、新たなご縁を引き寄せることもできるでしょう。

「出会いと別れ」とは、もとい、「別れと出会い」とは、そういうものなのです。

自然な形で、疎遠になっていく人間関係を、さびしく思うでしょうが、その人々と、絶対、再会できないとも限りません。

成長したあなたに触発されて、同じステージまで、お友達が登ってくるかもしれませんしね。

自分の道を進むとき、いろいろなことが起こるなか、人間関係が変わることが、一番、つらいことかもしれません。

でも、それを恐れないでください。

また、頑張って、何かを得たあなたに、つらく当たってくる人もいるかもしれません。

それもまた、あなたが成長してまぶしい存在になったために起こります。つまり、周囲に、嫉妬の感情を起こさせるほどに、あなたは輝き始めているのです。

ですから、そういう時にも、気にして萎縮する必要はありません。

あなたは、堂々としていればよいのです。

さて、今回、成長していく過程で起こる、あれこれを書きました。

参考になさってくださいね。

言葉より明白なものとは

img521.jpg人が、人と交友関係を結ぶとき、対等な関係になるのが、望ましいのですが、それは、なかなかに難しいようです。

そもそも、同性同士であれ、異性間であれ、どちらがより、相手を強く思っているか、で、力関係が決まってしまうようなところがありますね。

より、強く思っている方が、どうしても、相手には強く出ることができず、弱者になりがちです。

また、その関係性に疑問を持ちながらも、離れられずにいる、という場合も、疑問を持っているのは弱者の側であることが多いです。

そういった場合、疑問を持ちながらも、決定的な破たんに至ることなく、ズルズルと関係が長引きます。

そもそも、疑問を持っている、それだけで、その相手との関係は、潜在意識が良しとしていない関係なわけです。

潜在意識は、かなり正確に、状況をとらえているものですから、その関係は、良いものではないのです。

終わらせることのできない理由に、相手に惹かれている、もしくは、相手の言葉に引きずられる、といったことがありますね。

相手に惹かれている、あまり良い人でないことは分かっているけれど、なんだか、惹かれてしまう、という場合は、やめた方が良いことを自覚していることになりますね。

そして、相手の言葉に引きずられるという場合、その相手は言葉が巧みで、なんだか、ごまかされてしまっている感じがするのでしょう。

しかし、相手が言葉で、どんなにつくろっても、その相手とかかわっていることで、自分の運気が上がっているのか、下がっているかは、判断できるでしょう。

多くの場合、言葉より明白なのは、相手とかかわってからの自分の状態の変化です。

より明るく、幸せな気分で過ごすことが多くなり、実際に良いことばかり起こる、というのなら、その関係は良いものだと断言できます。

しかし、なんだか、いつもスッキリしない、自分がいつもお金を出している、仕事運も下がってきた、というような状態でしたら、その関係には、早々に終止符を打つべきです。

この場合、一見、非常に良い人に見えるけれど、その人とかかわってからの自分は、運気が下がっている気がする、というようなパターンだと、良い人に見えているだけに、本当にこの関係が悪いものなのか、判断に苦しむかもしれません。

しかし、一見、非常に良い人に見えても、そして、かつ、その人に悪意が微塵もなくても、相手の運を食いつぶす人というのが存在します。

相性の問題で、そういう現象が起きることもあります。

ですから、心を鬼にしてでも、そういう人とかかわってしまったら、脱兎のごとく、関係に終止符を打つのが良いでしょう。

それでは、また、ブログでお会いしましょう。

 

見返りを求める心がもたらすもの

画像なしで、お送りします、このブログ、ある意味、自戒をこめています。

タイトルの「見返りを求める心」とは、主に恋愛の場面における心理を言っていますが、人間関係全般に言えることでもあります。

すなわち、「私がこれだけ愛しているのだから、同じだけの思い、もしくはそれ以上を、私に返してほしい」と思う心です。

それは、一見、しごく当たり前の思いです。

しかし、私が占い師として接してきたお客様のなかで、こういう感情をお持ちの方が、幸せに恋愛成就したという例を知りません。

「今の彼に、私と結婚する意志がないのなら、時間の無駄だから、見切りをつけて、次の人を探したい」とおっしゃるお客様に、私は、「そういう思いが、彼に波動で伝わっているから、彼が結婚を切り出さないのですよ」と申し上げましたが、分かっていただけなかったのが残念です。

迷う心が悪いと申し上げているのではありません。

同じだけ愛してほしいと思う心の中に、利己的なものを感じるのです。

そもそも、恋愛、人間関係において、相手を思っていることに、幸せを感じているか否かは、その後の関係を非常に大きく左右します。

相手に会えたことを、心から嬉しく思い、まず、愛せることが幸せである、とおっしゃるお客様が、「同じだけ、返してほしい」と、言うのを聞いたことがありません。

愛されたいという思いは、そういうお客様にもあるのでしょうが、愛を与えること、そのものが喜びである人なので、相手に多くを望んでいないことが伝わってきます。

そもそも、人と人が相対しているとき、相手を大切に思う心が、自分のことも癒しているという側面があります。

なので、見返りが欲しいという気持ちを持つまでもなく、相手を愛していること自体がその人を幸せにしています。

しかし、見返りを求めない心で、愛されたとき、人は、そういう相手を、心から大切にしたいと思うものです。

したがって、こういう方の恋愛は、非常にうまくいくことが多いのです。

フィフティ・フィフティを望んで、何がいけないの?とお思いでしょうか?

ギブ&テイク、フィフティ・フィフティ、同じだけ思いあっている状態を求めることは、人間関係における基本でしょ?ということでしょうか。

同じだけ、と言うところに、相手への思いを数量化する感覚がありますね。

物事を数量化する感覚の裏に、乾いた感じの、利己的なものを、感じてしまう私がいます。

これは、私の偏見であると、おっしゃる方もいらっしゃると思います。

しかし、愛の場面で、相手より自分の思いが大きかったら、損だと思う、その心が相手からの愛を、なかなか得られない原因です。

自己愛を否定はしませんが、人を愛するということは、自分よりも相手を大切に思う心なのではないでしょうか?

そういう愛を注がれて、相手の方も、愛してくれているその人を、大切にしようと思うようになるのです。

恋愛の場面において、「同じだけ愛してくれなきゃいや」とお思いになる、その時点で、相手の方は、あなたの本当の相手ではないでしょう。

見返りが欲しくなる、そういう感情でしか、思えない相手は、あなたにとって、ベストな方ではないのです。

本当に、心から愛せる人と、恋愛をしませんか?

そして、愛し、愛される喜びを享受していただけたらと思います。

ただ、愛することが、幸せである、という思いは、あなたを美しくします。

どうか、愛によって、より美しく、しあわせになってくださいませ。

それでは、皆様、おやすみなさい。

親離れ、子離れ、トラ離れ

070902_0052~01-s.jpg以前、撮った、トラちゃんが男前に映っている画像でお送りしますのは、私にとっても、課題と思われるテーマです。

ちなみに、タイトルの最後の「トラ離れ」も、冗談ではなく、私にとって結構シビアなことなんですよ。

さて、「親離れ、子離れ」ですが、我が家において、これは、乗り越えるべきテーマのようです。

母と私の関係について、考えるとき、距離の取り方が、お互い下手なのではないかと思われます。

一般に、母親は、子供を所有物のように勘違いしてしまうことがあり、それが、子離れできない原因の一つとも言われますね。

我が家の場合は、ちょっと、それとは違うようです。

私と母は、私が幼いころは、あまり親密な関係ではありませんでした。

というのは、母が小学校教師をしていて、中学校教師の父とともに多忙な日々を送っていたため、小学校三年で、かぎっ子になるまでは、母方の祖母が、昼間は、私と姉の面倒をみてくれていたのです。

そして、私自身、教師である両親の助けを必要とせず、自分で考え、自分流ではありますが、一人でできてしまう子供でした。

なので、母は、さっさと一人で行動する私を見て、少しさびしかったと、後に私に言ったことがあります。

私は、自主的に行動すると言えば聞こえは良いのですが、かなり、自信過剰で、独りよがりな頑固者でもありました。

それを矯正する意味で、起こったと、今では思えるのですが、私が二十歳のとき、無理をして倒れ、かなり長いこと、眠り続けるということが起きました。そのとき、神秘体験をしています。かなりエネルギーを使ってしまったようです。

目覚めてみると、私は、鬱状態に陥っていて、何一つ、自分ではできない、しょんぼりした性格になっていました。

自分でも驚くほど、弱気で、言いたいことがあっても、何も言えないつらさを、嫌と言うほど、思い知ったのもこのときです。

そして、それ以前の私が、どんなに傲慢で、人を傷つける発言を平気でしていたかも、わかりました。

そんな、性格が激変した私に、母は、非常に驚き、また、なぜ、それが自分の子に起きたのかと、受け入れがたい気持ちだったそうです。

やがて、しょんぼりさんになった私と、母のコミュニケーションが始まりました。

大学を休学して、家に閉じこもりがちな私を、近くの公園まで、散歩に連れて行ってくれたり、黙ってそばにいてくれたり、時間の許す範囲ではありましたが、一生懸命、私を思う母の気持ちが伝わってきました。

思い返すと、二十歳が、私と母の本当のコミュニケーションが始まった起点になっているのです。

私の、大学の先輩に、「洋子が病気になって、初めて、洋子から必要とされました」と語っていたとも聞きました。

そう、二十歳の、しょんぼりした私は、0歳の赤ちゃんとして、母と初めて親子になったようなものでした。

なので、実際に、私と母の歴史は、まだ、三十年とちょっとです。

先ほど、距離の取り方が下手と書きましたが、たとえば、私は、母を喜ばせたくて、必要以上に母にものをプレゼントする癖があります。

母が、それほど、私からのプレゼントを望んでいないことも知っているのに、自分が嬉しいので、何かと母にものを買ってしまうのです。

これは、かなり独りよがりなことで、反省しているのですが、なかなか、治りません。

この頃は、以前より、仕事で得る報酬が増加したので、前より良いものが買えることも嬉しいので、拍車がかかります。

でも、私は知っているのです。母は、私が、元気で仕事にプライベートに、意欲的に取り組んでいるなら、それが一番うれしいと思ってくれていることを。

頭では、それを理解しているつもりでも、出かけた先で、母に似合いそうなもの、母が食べたらおいしいと言ってくれそうなものに出会うたび、ちゅうちょせず、購入している私がいます。

これも、ある意味、買い物依存でしょうか?

そして、もう一つ、「トラ依存」の問題。

トラちゃんとは、我が家の末っ子の猫・虎之介のことですが、この子がもし、老猫になり、やがて、失う日が来ると思っただけで、私は、非常にパニックに近い心境になるのです。

セキセイインコの瑠璃さん、だるまインコのポッピー、十姉妹のトーマスとブリマー夫妻、と、これまで、鳥の家族はいましたが、猫が家族になったのは、初めてのことです。

そして、鳥たちの喜怒哀楽の表現に、癒されてきた記憶を、塗り替えるほど、トラちゃんの喜怒哀楽の表現は、私の心をとらえて離しません。

「こんなに、愛しい存在は、トラちゃんが初めてだ」と感じている自分に、「鳥たちに悪いじゃない」と突っ込みを入れている私がいます。

「トラ離れ」、これは結構、シビアな問題です。

でも、こうも思います。「親離れ」にしろ、「トラ離れ」にしろ、やがて、否応なく別れは訪れますよね。死別ということです。

ならば、その日が来るまで、めちゃめちゃ、愛して、大事にしたって、いいじゃない?と。

この考え、間違っているでしょうか?

それでは、また、ブログでお会いしましょう。

友人、知人は、自分の鏡です。

DSCN0652.JPG丸まっているトラちゃんの画像でお送りする今回のブログ、自分への自戒もこめた、やや厳しい内容になると思われます。

鑑定をさせていただいていますと、「私の周りには、つまらない人しかいないんです」とか、「あの上司は、本当におかしいんです」といった、人間関係に恵まれないことを嘆く言葉に遭遇することが多々あります。

そういったとき、先ず、私は、共感能力を使って、お客様のお心に寄り添うように努めます。

しかし、その努力は、あまり実を結ばないことが多いです。

お心の内に、自分を振り返ることを拒否する波動を感じ、共感し続けることができなくなるからです。

こういう言い方は、酷かもしれませんが、人間関係を形作っている大元は、ご自分の波長にあるのです。

周りにいらっしゃる方々は、ご自分の波長で引き寄せた人々なのです。

ですから、「つまらない人しかいない」とお思いならば、ご自分がそういう人になっていないかを、警戒、もしくは反省する必要があるでしょう。

また、「おかしい人」がそばにいる、というのは、その人の異常さを、お許しになっている自分自身がおられることに気付くべきでしょう。

人間関係は、ご自分が出している波長で形成されますから、友人、知人といった近しい人々をよく観察すると、ご自分がどんな生き方をしているか、自ずと見えてくるはずです。

ただ、「上司さんとか、職場の同僚というのは、自分ではどうしようもないでしょ?」という声も聞こえてきそうですね。

そうでしょうか?

「職場の上司さんが横暴である」と訴える方々に共通したテイストを、実は、私は感じています。

よく言うと、相手を立てることを知っている方々、です。

そして、相手を立てた結果、相手の横暴を許す結果になってしまった、というのがその主張です。

しかし、相手を立てているのは、その人自身を尊重しているから、というより、相手のポジションに対して、敬意を払っている、もしくは、(厳しい言い方をあえてするならば)へつらっているのです。

上司の方からすると、自分という人間にではなく、ポジションにへいこらしているだけなのだ、というむなしさがあるわけです。

「だから、多少の無理は通させろ」となってしまうなら、その上司の方も、欠落していますね。

お互い、欠落した同士、会うべくして会っているとも言えそうですよ。

ならば、どうすればいいの?とお思いですね?

やみくもに相手を立てた結果、横暴な振る舞いを許すことになったのですから、そもそも掛け違えた地点まで、意識を戻す必要があるでしょう。

ただ、上司の方には、職権というものがあり、気に入らない人間を飛ばすとか、そういった暴挙にでる人も、中には存在するため、この問題は、やっかいです。

心をつくして話せば、通じると言えたら、どんなにか良いと思いますが、人間には立場の威力を自分の力だと錯覚する弱さがあり、改めるべき点を指摘されて、逆上する人はその典型と言えるでしょう。

そう考えた時、なるほど、職場での人間関係は、理不尽なことも存在しますね。

「すまじきものは宮仕え」と、古(いにしえ)の人々が言っているのは、今も昔も、怨憎会苦(おんぞうえく・嫌いな人に遭わなければならない苦しみ)が人間の八苦の一つだからかもしれませんね。

さて、人間関係は鏡だと、よく言われます。

「私には、ろくな友人がいない」とおっしゃられるのは、先ほども述べましたが、「自分はろくでもない人間だ」と言っているようなものです。

人と人は、同じ波長をもった同士でなければ、縁というものでつながれることはないのです。

縁のある人というのは、多かれ少なかれ、ご自分と同じ波長を出している人であるとお思いになったほうが良いでしょう。

もし、「え、あの人と一緒の部分が、私に?」とショックを感じる人間関係をお持ちなら、なぜ、その方とのご縁をつづけているのでしょうか?

そうお思いになる時点で、その方とのご縁は、良縁ではないでしょう。

悪縁とまでいかなくても、必然性のある関係ではないのかもしれませんよ。

友人、知人は数を誇るものではありません。むしろ、その質に着目すべきでしょう。

少なくとも心から信頼し合える人を持っている人と、信頼関係にない友人、知人を多数持っている人、どちらがお幸せでしょうか?

ですから、今回のブログで、私が申し上げたいことは、人間関係に悩んだら、まず、ご自分のあり方を見つめなおしてくださいということです。

そして、良縁とは言い難い縁であるならば、断ち切る強さをお持ちくださいとも申し上げましょう。

人を変えようというのは傲慢です、変わってほしい人と縁をつないでいること自体が間違っているのかもしれませんよ。

さて、少々、厳しいことも申し上げましたが、ぜひ、ご自分の周りの縁を良縁でいっぱいにされることを、お祈りしています。

それでは、また、ブログでお会いしましょう。

強さを秘めているのに発揮できないでいる人へ

DSC_1280.JPG天気予報に夢中のトラちゃんの画像でお送りしますのは、最近、私が感じている人の強さについての考察です。

お客様や、生徒さん、またはお友達とお話ししていて、思うことの一つに、「強い人というのは、優しいなぁ」ということがあります。

そういう方の第一印象は、「優しい人」「穏やかな人」といった感じのことが多いです。

しかし、お話ししていますと、随所に、「自分」というものがあり、そのゆるぎなさに、「ああ、この人は優しいけれど、強くもあるんだな」と思います。

むやみやたらに、自分を主張しないところも、「自分に自信があるから、余裕があるのだな」と思います。

多くのお客様と接している私ですが、こうした強さをたたえた方にお会いすると、とても嬉しくなります。

こうした方々は、他人に振り回されたりすることがないので、お客様と占い師として出会うことは、あまり多くはないのです。

ですが、ごくまれにこうした方々のご相談を受けるとき、多くの場合、もう、ご自分でどうしようかをお決めになられていることが多いように思います。

私にご相談されるという形をとりながら、肩を押すことを求めておられるのだな、と感じますので、そのようにさせていただいています。

さて、私は、強さをたたえている方々について、お書きしてきましたが、実はあまり、こうした方々に関して、心配はしていません。

むしろ、強さを秘めているという状態の方々について、一歩踏み出していただけたら、と思っています。

強いものを自分の中にお持ちでありながら、「秘めた」状態でいらっしゃる方々の多くは、他者への配慮、遠慮がおありのようですね。

それは、自分以外の人を大切にする行為でもありますが、配慮、遠慮の形をとって、ご自分を守っている場合もあります。

「こんな風に言ったら、角が立つだろうな」と思って、言葉を飲み込むような場面で、守っているのは、相手のメンツだけではなく、ご自分へむけられるであろう反撃を未然に、封じているのです。

もし、相手のために、言ってあげた方が良いことを飲み込んでいるとしたら、それは、はたして配慮でしょうか?

人前で言えば角が立つことでも、時と場所と言い方をよく吟味して、相手に伝えることは可能なはずですよね。

ただ、こうした面倒なことをしてまでも、相手にとって受け入れがたい内容のことを伝える意味があるのだろうか?と考えてしまうかもしれませんね。

そういう迷いがあるから、きっと、あなたは、まだ、強さを「秘めている」状態なのだと思いますよ。

本当に強い人というのは、行動に迷いがありません。

行動に移す前に、熟慮しているので、いざ、行動する段になって逡巡するといったことがないのだろうと思います。

「強さを秘めている」のではなく、自分は「弱い」のだと思う、という声も聞こえてきそうです。

いえ、そうではないのです。

弱い自分を認めていらっしゃることが実は、強さの証明なのです。

本当に弱い人は、自分を弱いとは思っていないことが多いものです。そう、自分の弱さを認められないから、本当に弱いのです。

ですから、自分の弱さを認めた時点で、あなたは強さを発揮できる人であることが証明されたということになります。

いつもながら、回りくどくて恐縮ですが、大事なところなので、もう少々、ご辛抱ください。

つまるところ、強さ、弱さといった概念を、対立でとらえることに問題があります。

これは、私の主たる占術である、カバラ数秘術的世界観が、男性原理、女性原理といった言い方で、二つの相反するもので世界が成り立っているという考え方をすることに、一見反しています。

しかし、相反するもの、イコール対立するもの、ではないのではないか、と私は思い始めています。

たとえば、自分のことを弱いなぁと感じる人が秘めている強さは、自分を強いと自覚している人の強さよりしなやかで、柔軟性のある強さである分、数段、上を行っていると思うのです。

ですから、今、ご自分が強くない、とか、弱いと思っていらしゃる方々が、「強くなろう(実際には、強さを思い出そう、かな?)」とお思いになるとき、その可能性の広がりは、素晴らしいものがあるでしょう。

漫画家・山岸涼子さんの代表作の一つであるバレエ漫画「アラベスク」の主人公・ノンナ・ペトロワのような強さ、と言っても、マニアックで理解不能しょうか?

このノンナという少女は、自分に自信がなくて、すぐいじけるという、一見、弱弱しいキャラクターで描かれています。しかも、彼女は、先生に注意されたことを、一回では、直せないことに引け目を感じています。

しかし、彼女は、一回で直せない自分の欠点を、何回も、何回も練習して、練習して、最後には、先生が望んでいる状態よりも素晴らしい状態に、自分を高めてしまうのです。

ちょっと、横道にそれましたが、この、ノンナのような素晴らしさは、最初から強い人には到達できない強さであると思います。

ということは、現在、自分の強さを発揮できていない方こそ、真に素晴らしい強さを発揮できる可能性を秘めているのです。

先ほども述べましたが、柔軟性のある、しなやかな強さとでも表現したら、良いでしょうか?

さて、私がご案内できるのは、実はここまでです。

強さを秘めているあなたが、強さを発揮する方法までは、ご案内できません。

それは、あなた自身が、試行錯誤されるからこそ、素晴らしい結果に結びつくものであり、外野の私がどうこう申し上げるべきものではないと思います。

可能性を秘めておられる皆様、是非、一歩、踏み出してくださいませ。

それでは、また、ブログでお会いしましょう!

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