祈りの言葉

この画像は、今年35歳になる姪っ子が、赤やんのときに、水前寺公園の小さな祠(ほこら)を見つけ、手を合わせ、拝んでいる姿を、当時二十代だった私がオートフォーカスカメラで写したものです。

「無垢な祈り」と題して、静岡市の市民芸術祭に応募したところ、入選しました。

写真撮影を趣味としている私の、唯一の受賞作品(?)です。

この頃、「祈り」について考える事が増えました。

ウクライナで紛争が起きていることも無関係ではないでしょう。

私は、対面鑑定をさせていただくとき、鑑定室のご案内のプリントと共に、「祈りの言葉」を印刷したものもお渡ししています。

「祈りの言葉」は、中世の修道士・聖フランチェスコによるものを、現代版にアレンジしたもので、出典は今は休刊になっている学習研究社のスピリチュアル系雑誌「エルフィン」です。

「エルフィン」はいわば、「ムー」の女の子版といった感じの占いや心理についての特集満載の雑誌でした。

その当時は、家にパソコンもプリンタもなかったので、手書きで書き写し、紙を挟める下敷きに入れて、日常的に読んでいました。

今の世界情勢には、この「聖フランチェスコの祈り」のような境地が、ヒントにならないかな、との思いを込めて、ご紹介しますね。

「祈りの言葉

私を導く宇宙のエネルギーに祈ります。

どうか、私を、あなたの通路としてお使いください。

分裂のあるところには、調和が、
疑いのあるところには、信頼が、
間違ったところには、真理が、
哀しみには希望、
そして、暗闇には光が
満たされますように。

人にわかってもらうよりは、わかってあげられる人に、
愛されるよりも、愛することを、
誰よりも、何よりも、私が求めますように。

私は、自分を生かすことで、人を生かし、
自分を許すことで、人を許します。

そして、憎しみや嫉妬に満ちた哀しい人を、
どうか、愛で満たしてあげてください。

私の幸せが、他の人を幸せに導き、
私の響きが、地球を浄化できますように。

自分を清め、深めていきますから、
どうか、私と共に歩いてください。」

もともとの祈りの言葉では、祈りをささげているのは神様に向かってです。
そして、あなたの道具としてお使いください、という表現になっています。

どうでしょう。
この祈りの言葉の世界観。

私は、特に中盤の、
「人にわかってもらうよりは、分かってあげられる人に、
愛されるよりも、愛することを、
誰よりも、何よりも、私が求めますように。」
の部分に、心惹かれます。

そして、こんな境地で、日々を過ごし、穏やかで優しい響きがひろがっていくといいな、と思います。

この「聖フランチェスコの祈り」をもっと、多くの方々に知っていただきたい、心からそのように思い、ご紹介させていただきました。

それでは、また、ブログでお会いしましょう!