NHK「映像の世紀」を再視聴して、いろいろ考えました。

ここ数日間、NHKの総合テレビで、深夜の時間帯に、1995年に放送された「映像の世紀」を再放送しています。

この番組は、日米共同制作ということで、第一次世界大戦前のころからの映像を基(もと)に作られているようです。

「ようです」というのは、うっかり第一回を録画し忘れたため、第二回から視聴しているからです。

ブログタイトルに「再視聴して」と書きましたが、厳密(げんみつ)に言うと、過去に視聴した記憶のあるものもあれば、今回初めて視聴したものもありました。

現時点で、全11回まであるうちの、第2回から6回まで視聴したところです。

ちなみに、「映像の世紀」の内容は次のようなものです。

第一回「20世紀の幕開け~カメラは歴史の断片(だんぺん)をとらえはじめた~
第二回「大量殺戮(たいりょうさくりく)の完成~塹壕(ざんごう)の兵士たちはすさまじい兵器を見た~
第三回「それはマンハッタンから始まった」
第四回」ヒトラーの野望~人々はナチスに未来を託した~」
第五回「世界は地獄を見た 無差別爆撃(むさべつばくげき)、ホロコースト、原爆」
第六回「独立の旗の下に アジアは苦難の道を歩んだ」
第七回「勝者の世界分割~東西の冷戦はヤルタ会談から始まった~」
第八回「恐怖の中の平和~東西の首脳は核を背負って対峙(たいじ)した~」
第九回「ベトナムの衝撃(しょうげき)~アメリカ社会が揺らぎ始めた~」
第十回「民族の悲劇果てしなく~絶え間ない戦火(せんか) さまよう人々~」
第十一回「JAPAN~世界が見た明治・大正・昭和」

第一回を録画し忘れたことを、非常に悔しく思っていますが、幼い頃からNHKの番組を見て育った私には、良い作品は再放送される、ということを体験しているので、そこに期待を持っています。

実際に、私が断片的にこれまで視聴した「映像の世紀」も、1995年当時のものではなく、再放送されたものを視聴したと記憶しています。

「映像の世紀」のテーマ音楽「パリは燃えているか」(加古隆作曲)は、フルオーケストラとピアノの旋律(せんりつ)がとても印象的で、ダウンロードして、時々、聴いています。

また、この番組の語りは山根基世(やまねもとよ・元NHKエグゼクティブアナウンサー)さんで、繰(く)り出される衝撃的ともいえる映像に、この方の淡々とした語りが、より胸に迫る、とずっと思っていました。

山根基世さんは、最近では、TBSテレビの人気ドラマ「半沢直樹」でも、ナレーションを担当されていましたね。

「半沢直樹」は、「映像の世紀」感というか、ドラマの展開に、この方のナレーションが重なることで、重厚(じゅうこう)な印象になるなぁと思いながら、興味深く拝見していました。

少々脱線(だっせん)しましたが、改めてこの「映像の世紀」を拝見して、かなり踏み込んだ、意欲的(いよくてき)な作品ではないかな、という気がしています。

例(たと)えば、ヒトラーの回では、ヒトラーの演説がすすむにつれ、人々が次第(しだい)に熱狂(ねっきょう)していく様がつぶさに見とれますし、そもそも、なぜ、ドイツ国民がナチスに未来を託(たく)そうと思うに至(いた)ったかを詳細(しょうさい)に描(えが)いています。

第一次世界大戦に敗戦、物心共(ぶっしんとも)に疲弊(ひへい)しきっていたドイツ国民にとって、ドイツ国民としての誇(ほこ)りを高らかに宣言(せんげん)し、鼓舞(こぶ)するヒトラーの姿に、勇気づけられ、ナチスの台頭(たいとう)を許す、と言うより、熱狂的に望んだのでは、と思いました。

ヒトラーは、失業問題を(他国への侵略(しんりゃく)という問題ある方法ではありますが)解決し、フォルクスワーゲンを国民車として普及(ふきゅう)させたりと、政治家としては非常に有能(ゆうのう)だったとも感じました。

狂信的(きょうしんてき)な国粋主義的思想(こくすいしゅぎてきしそう)が、人心掌握術(じんしんしょうあくじゅつ)に長(た)けた政治家であるヒトラーを、人道的に外(はず)れた政策(ユダヤ人迫害)に突き進ませたのだろうと考えると、月並(つきなみ)な表現で恐縮(きょうしゅく)ですが「神は二物を与えず」という言葉を改めて、思い出しました。

また、今のテレビ番組内で、遺体(いたい)の映像が映ることって、ほぼ無いと思うのですが、戦時下(せんじか)、爆撃後(ばくげきご)の市中に点在する遺体は何度も映し出され、あろうことか戦争時の処刑(しょけい)の瞬間(しゅんかん)、なども含(ふく)まれています。

世界史は高校時代に、受験の科目に選択しなかったこともあり、頭にちゃんと入っていません。

特に、近現代史に至っては、チンプンカンプンというのが、現実でした。

実際、歴史の授業は、中学でも高校でも、三学期になっても、ようやく明治時代に入るくらいで、「あとは、教科書、読んでおけ~!」との先生の言葉しか覚えていません。

「映像の世紀」を拝見し、歴史をもっと知りたいと思いました。

母が、静岡市平和資料センターのボランティア活動をしていた時、センター所有の全資料のリスト作成を、当時の責任者の方から依頼されて、母と二人でワープロ(まだ、ワープロが全盛の時代でした)で、作ったことがありました。

専門用語も多く、難しいことも有りましたが、今回、「映像の世紀」の軍隊の進軍シーンを観て、「軍人の履(は)く靴を軍靴(ぐんか)って入力したっけなぁ」なんて、思い出していました。

母は、ボランティア活動を今は、していませんが、私もボランティア活動に参加させていただけないかな、と思い始めました。

さて、上の画像は、長崎市に投下(とうか)された原爆のきのこ雲をテレビが映し出した瞬間をスマホで撮影したものです。

第二次世界大戦では、世界中で戦争の為に亡くなった方は約6500万人だそうです。

そして、そのうち、武器を持たない民間人の死者が約4000万人であるとのこと。

「無辜(むこ)の民(たみ)」という言葉を連想しましたが、厳密には、無辜の民、「何の罪もない人々」ばかりではなかったのかも知れません。

戦争に突き進む為政者(いせいしゃ)に従(したが)って、結果的に惨状(さんじょう)を招(まね)く一翼(いちよく)を担(にな)っていた一面があるのですから。

ただ、一連(いちれん)の「映像の世紀」という作品を拝見して感じるのは、現代の私たちが、歴史の事実を解釈(かいしゃく)し、時には批判(ひはん)、非難(ひなん)したりする、その先に、歴史から何かしらを学んで活(い)かそうとする姿勢(しせい)がなくてはいけないのでは、ということです。

今、この瞬間も、過去に、そして歴史になっていきます。

独(ひと)りの人間としては、その時、その時を、大切に生きていけたら、と思います。

とりとめの無いお話、恐縮です。

それでは、また、ブログでお会いしましょう!