見返りを求める心がもたらすもの

画像なしで、お送りします、このブログ、ある意味、自戒をこめています。

タイトルの「見返りを求める心」とは、主に恋愛の場面における心理を言っていますが、人間関係全般に言えることでもあります。

すなわち、「私がこれだけ愛しているのだから、同じだけの思い、もしくはそれ以上を、私に返してほしい」と思う心です。

それは、一見、しごく当たり前の思いです。

しかし、私が占い師として接してきたお客様のなかで、こういう感情をお持ちの方が、幸せに恋愛成就したという例を知りません。

「今の彼に、私と結婚する意志がないのなら、時間の無駄だから、見切りをつけて、次の人を探したい」とおっしゃるお客様に、私は、「そういう思いが、彼に波動で伝わっているから、彼が結婚を切り出さないのですよ」と申し上げましたが、分かっていただけなかったのが残念です。

迷う心が悪いと申し上げているのではありません。

同じだけ愛してほしいと思う心の中に、利己的なものを感じるのです。

そもそも、恋愛、人間関係において、相手を思っていることに、幸せを感じているか否かは、その後の関係を非常に大きく左右します。

相手に会えたことを、心から嬉しく思い、まず、愛せることが幸せである、とおっしゃるお客様が、「同じだけ、返してほしい」と、言うのを聞いたことがありません。

愛されたいという思いは、そういうお客様にもあるのでしょうが、愛を与えること、そのものが喜びである人なので、相手に多くを望んでいないことが伝わってきます。

そもそも、人と人が相対しているとき、相手を大切に思う心が、自分のことも癒しているという側面があります。

なので、見返りが欲しいという気持ちを持つまでもなく、相手を愛していること自体がその人を幸せにしています。

しかし、見返りを求めない心で、愛されたとき、人は、そういう相手を、心から大切にしたいと思うものです。

したがって、こういう方の恋愛は、非常にうまくいくことが多いのです。

フィフティ・フィフティを望んで、何がいけないの?とお思いでしょうか?

ギブ&テイク、フィフティ・フィフティ、同じだけ思いあっている状態を求めることは、人間関係における基本でしょ?ということでしょうか。

同じだけ、と言うところに、相手への思いを数量化する感覚がありますね。

物事を数量化する感覚の裏に、乾いた感じの、利己的なものを、感じてしまう私がいます。

これは、私の偏見であると、おっしゃる方もいらっしゃると思います。

しかし、愛の場面で、相手より自分の思いが大きかったら、損だと思う、その心が相手からの愛を、なかなか得られない原因です。

自己愛を否定はしませんが、人を愛するということは、自分よりも相手を大切に思う心なのではないでしょうか?

そういう愛を注がれて、相手の方も、愛してくれているその人を、大切にしようと思うようになるのです。

恋愛の場面において、「同じだけ愛してくれなきゃいや」とお思いになる、その時点で、相手の方は、あなたの本当の相手ではないでしょう。

見返りが欲しくなる、そういう感情でしか、思えない相手は、あなたにとって、ベストな方ではないのです。

本当に、心から愛せる人と、恋愛をしませんか?

そして、愛し、愛される喜びを享受していただけたらと思います。

ただ、愛することが、幸せである、という思いは、あなたを美しくします。

どうか、愛によって、より美しく、しあわせになってくださいませ。

それでは、皆様、おやすみなさい。