おやすみなさい(自分を裁く心を祝福すること)

今夜の「おやすみなさい」は、画像なしでお送りします。

今日は、友人と話していて、とても大切な気づきがありました。

その気づきについて、お話しさせてください。

私にも、覚えのあることですが、どうも、好きになれない人っているものです。

何が気に入らないと、はっきり自覚できれば、まだいいのですが、なんとなくいけすかない、とか、なんとなく嫌な感じがするとか、もやもやとしていて、そこに確たる根拠がみつからない場合もしばしば。

そうすると、人の心は、「好きになれない人がいる自分」を、責めたり、裁き始めたりするようです。

そこには、「訳もなく人を嫌ってはいけない」といった、優等生的な良心が働いているので、結論として、「自分がいたらないのだ」とか、「自分の了見が狭いのだ」というように、結局、自分を悪者にしてしまいます。

しかし、そういった、「自分が悪い」的な発想は、できれば、しないほうが良い考え方のひとつです。

なぜかというと、「責められるべきは自分」という、状態を望んでいると、宇宙が(潜在意識が)判断してしまい、つぎつぎ、自分にとって不条理な状況を呼び寄せてしまうからです。

では、どうしたらいいのでしょう?

最初、私は、「好きになれない人がいる私」のことを、祝福する、というシチュエーションを考えました。

でも、ダメでした。

どうしても、「好きになれない人を抱えた私」を、手放しで、賞賛したり、祝福したりは、できないのです。

でも、このままでは、再び、自分を責め、まずい状況を引き寄せてしまいます。

そんなとき、友人が以下のような提案をしてくれました。

だったら、こうしたらどうでしょうか?

「嫌いな人を抱えている私」のことを、裁いている心正しい私を祝福するのです。

私って、実は、こんなに、真面目で真摯で、自分に厳しいんだ、といった具合に。

ともあれ、自分のことを、ちゃんと、認めてあげて、さらに、応援してあげて、大好きだと思ってあげる、そういう祝福する気持ちが、運気をアップさせるのですから、ここは大事です。

セルフイメージの良しあしは、本当に、運気を左右します。

とかく、生真面目で、几帳面な人、責任感の強い人ほど、自分を責めがちです。

自分を責めてしまったら、次の瞬間、「私って、真面目で、良い人かもしれないな」と、自分を祝福してあげましょう。

そうして、まるごと、自分を受け入れましょう。

そんな、話を友人としていて、この友人との縁に、感謝している私がいました。

それでは、皆様、おやすみなさい。