強さを秘めているのに発揮できないでいる人へ

DSC_1280.JPG天気予報に夢中のトラちゃんの画像でお送りしますのは、最近、私が感じている人の強さについての考察です。

お客様や、生徒さん、またはお友達とお話ししていて、思うことの一つに、「強い人というのは、優しいなぁ」ということがあります。

そういう方の第一印象は、「優しい人」「穏やかな人」といった感じのことが多いです。

しかし、お話ししていますと、随所に、「自分」というものがあり、そのゆるぎなさに、「ああ、この人は優しいけれど、強くもあるんだな」と思います。

むやみやたらに、自分を主張しないところも、「自分に自信があるから、余裕があるのだな」と思います。

多くのお客様と接している私ですが、こうした強さをたたえた方にお会いすると、とても嬉しくなります。

こうした方々は、他人に振り回されたりすることがないので、お客様と占い師として出会うことは、あまり多くはないのです。

ですが、ごくまれにこうした方々のご相談を受けるとき、多くの場合、もう、ご自分でどうしようかをお決めになられていることが多いように思います。

私にご相談されるという形をとりながら、肩を押すことを求めておられるのだな、と感じますので、そのようにさせていただいています。

さて、私は、強さをたたえている方々について、お書きしてきましたが、実はあまり、こうした方々に関して、心配はしていません。

むしろ、強さを秘めているという状態の方々について、一歩踏み出していただけたら、と思っています。

強いものを自分の中にお持ちでありながら、「秘めた」状態でいらっしゃる方々の多くは、他者への配慮、遠慮がおありのようですね。

それは、自分以外の人を大切にする行為でもありますが、配慮、遠慮の形をとって、ご自分を守っている場合もあります。

「こんな風に言ったら、角が立つだろうな」と思って、言葉を飲み込むような場面で、守っているのは、相手のメンツだけではなく、ご自分へむけられるであろう反撃を未然に、封じているのです。

もし、相手のために、言ってあげた方が良いことを飲み込んでいるとしたら、それは、はたして配慮でしょうか?

人前で言えば角が立つことでも、時と場所と言い方をよく吟味して、相手に伝えることは可能なはずですよね。

ただ、こうした面倒なことをしてまでも、相手にとって受け入れがたい内容のことを伝える意味があるのだろうか?と考えてしまうかもしれませんね。

そういう迷いがあるから、きっと、あなたは、まだ、強さを「秘めている」状態なのだと思いますよ。

本当に強い人というのは、行動に迷いがありません。

行動に移す前に、熟慮しているので、いざ、行動する段になって逡巡するといったことがないのだろうと思います。

「強さを秘めている」のではなく、自分は「弱い」のだと思う、という声も聞こえてきそうです。

いえ、そうではないのです。

弱い自分を認めていらっしゃることが実は、強さの証明なのです。

本当に弱い人は、自分を弱いとは思っていないことが多いものです。そう、自分の弱さを認められないから、本当に弱いのです。

ですから、自分の弱さを認めた時点で、あなたは強さを発揮できる人であることが証明されたということになります。

いつもながら、回りくどくて恐縮ですが、大事なところなので、もう少々、ご辛抱ください。

つまるところ、強さ、弱さといった概念を、対立でとらえることに問題があります。

これは、私の主たる占術である、カバラ数秘術的世界観が、男性原理、女性原理といった言い方で、二つの相反するもので世界が成り立っているという考え方をすることに、一見反しています。

しかし、相反するもの、イコール対立するもの、ではないのではないか、と私は思い始めています。

たとえば、自分のことを弱いなぁと感じる人が秘めている強さは、自分を強いと自覚している人の強さよりしなやかで、柔軟性のある強さである分、数段、上を行っていると思うのです。

ですから、今、ご自分が強くない、とか、弱いと思っていらしゃる方々が、「強くなろう(実際には、強さを思い出そう、かな?)」とお思いになるとき、その可能性の広がりは、素晴らしいものがあるでしょう。

漫画家・山岸涼子さんの代表作の一つであるバレエ漫画「アラベスク」の主人公・ノンナ・ペトロワのような強さ、と言っても、マニアックで理解不能しょうか?

このノンナという少女は、自分に自信がなくて、すぐいじけるという、一見、弱弱しいキャラクターで描かれています。しかも、彼女は、先生に注意されたことを、一回では、直せないことに引け目を感じています。

しかし、彼女は、一回で直せない自分の欠点を、何回も、何回も練習して、練習して、最後には、先生が望んでいる状態よりも素晴らしい状態に、自分を高めてしまうのです。

ちょっと、横道にそれましたが、この、ノンナのような素晴らしさは、最初から強い人には到達できない強さであると思います。

ということは、現在、自分の強さを発揮できていない方こそ、真に素晴らしい強さを発揮できる可能性を秘めているのです。

先ほども述べましたが、柔軟性のある、しなやかな強さとでも表現したら、良いでしょうか?

さて、私がご案内できるのは、実はここまでです。

強さを秘めているあなたが、強さを発揮する方法までは、ご案内できません。

それは、あなた自身が、試行錯誤されるからこそ、素晴らしい結果に結びつくものであり、外野の私がどうこう申し上げるべきものではないと思います。

可能性を秘めておられる皆様、是非、一歩、踏み出してくださいませ。

それでは、また、ブログでお会いしましょう!