おやすみなさい(人はなぜ動物に癒されるのか)

DSC_0653.JPG私は、これまで、鳥や動物と、暮らしてきました。(できれば、飼ったとは、表現したくない私です。)

そして、とても、心癒されてきました。

人と人との関係って、なかなか、思う通りにいかないことが多くて、占い師へのご相談のお悩みの筆頭は、人間関係でのお悩みのようです。

私は、性善説の人なのですが、ただ、ちょっと、ペシミスト的な性善説の保持者です。

どう、ペシミスト(悲観主義者)なのかと言いますと、私の中で、人間関係の前提が、「人と人は分かりあえない」というものなのです。

分かりあえると思いたくて、若い頃から、いろいろ、傷ついたり、人を傷つけたりしてきた結果、この前提に立つことを決めました。

分かりあえるという前提に立つと、人間関係は、理不尽なことばかりになってしまうように思います。

そして、思いがけず、分かりあえると思えた時、心から、感謝をします。

神様に、そして、その相手に。

ですから、私は、友人が決して多いとは言えないです。

ただ、数少ない、友人は、本当に心許せる人たちで、出会えたことに、感謝しています。

そして、友人ではないのですが、私が大切にしている人たちは、ほかにもいます。

それは、お金を支払って、仕事を頼む、関係先の方々です。

いわゆる、その道のプロですね。

パソコンのことは、パソコンcafeスマイル先生。

写真を撮ってもらうのは、フリーズモーション。

家電のことは、ウチノデンキ。

などなど、専門家の力を、借りる時、その技術に、敬意をもって、接しています。

大切な関係者様ということです。

私は、仕事を頼むとき、その人が、信頼できる方かどうかを、よくよく見定める癖があります。

「お金はかかるけど、ベストな選択」をまず、提示してくれる人を、信頼します。

そして、その後、私の懐具合も考えてくれる、そういう一面を持っていてくれると、なお、助かりますし、皆、そういう方々です。

そんな風に、信頼できるプロと、繋がっていると、いざというとき、誰に連絡したらいいか、即、対応ができ、ありがたいのです。

特に、スマイル先生には、何度、泣きついたことか!

さて、本題の、動物に癒される人の心についてです。

つまるところ、動物に人の心が癒されるのは、相手が動物で、「自分の心を分かってくれるはずもないけど、慕ってくれると、愛しい」、ということになるのではないでしょうか?

ここに、人間関係との違いが浮き彫りになります。

えてして、人は、潜在的に、動物に、自分の心を受け止めてくれる役目ができるとは、思っていないようですね。

なのに、思いがけず、なついてくれて、慕ってくれるから、たまらなく愛しいのではないでしょうか?

もちろん、初めから、自分の心を受け止めてくれることを、期待して動物にそばにいてもらう人もいるでしょうが、それは、かなりの寂しがり屋さんではないかな?

動物が、やんちゃをして、自分を困らせるのを、本気で起こる人はいませんね。

「だって、トラちゃんだもん」と、私も、かなり甘いです。

なのに、人が、自分にとって、嬉しくないことをしたとき、怒ったり、理不尽に感じるのはどうしてでしょう?

「分かってくれるはずだ」という前提に立つからではないでしょうか?

ですから、私は、「人と人は分かりあえない」という前提で、物事を観るようにしています。

それは、相手を突き放すということではなく、「分かりあえないけど、努力する価値はある」ということなのです。

そして、思いがけず、波長が合った人とは、一生の付き合いになるのです。

そのように、人間関係を、狭く深く掘り下げる私は、普段は、さらっとしたお付き合いをします。

差別しているのではなく、期待し過ぎないことが、その人への配慮だと思っています。

そんな私に、メールやコメントを下さる皆様、本当にありがとうございます。

これからも、よろしくお願いいたします。

それでは、皆様、おやすみなさい。