おやすみなさい(信頼と依存)

6.法王.jpg信頼できる家族、友人を持つことは、とても幸せなことです。

窮地に立たされたときや、迷いを感じたとき、信頼する人に相談するというのは、ごく普通のことかもしれません。

また、弱音を吐いてしまったり、愚痴を聞いてもらうということもあるかもしれませんね。

お互いに信頼関係が結べているのなら、多少の愚痴は、聞き流してもらえるものでしょう。

しかし、私の交友関係は、同じ職業・占い師にをしている友人も多く、悩みを相談するのにも、気を使います。

なぜかと言うと、その友人たちは、お客様のお悩みを聞いて、お答えすることで、お金をいただいている人たちだからです。

占い師の友人の顔が思い浮かぶほどの、迷いや、悩みの場合、相談するとしたら、友人としてではなく、お客様になって、相談に乗ってもらうというのが、筋でしょう。

実際、私は、昨日のフェアリア先生(フェアリア先生は友人ではなく先輩ですが)のように、お金をお支払いして、相談をする占い師の友人が何人かいます。

しかし、ときどき、これは、鑑定の域なのか、それとも、普通の会話の延長でいいのか、の判断が難しいことがあり、私なりに考えて、連絡をしても、相手にとって、不本意な連絡の仕方となってしまったり、ということもあります。

幸い、忌憚なく、「その内容は、鑑定の域だよ」と、クギを指してくれる間柄なので、友人関係の破綻は免れていますが、気をつけなければ、と思います。

そこで、思うのが、信頼と依存の違いを、しっかり区別しなくては、ということです。

困ったときや、悩んだときに、顔が浮かぶという時点で、すでに、依存の陰が指していますが、その時点で、自戒して、まず、自分にできることをしてから、連絡を取ろう、と思えるなら、依存ではないでしょう。

しかし、さあ、困った、話を聞いてもらおう、では、信頼関係というより、依存関係でしょうね。

信頼と依存は、似て非なるもの、その区別をしっかりできないと、大切な友人を失うこともあるでしょう。

ことほどかように、人間関係は、デリケートなんですね。

相互に信頼で結ばれた人間関係を、依存関係にしないためにも、まず、自分にできることを、し尽くしてから、友人なり、先輩なりに、相談する、という姿勢、大切だと思います。

今回は、自戒を込めて、このブログを書きました。

それでは、皆様、おやすみなさい。